自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々
年末から正月にかけて、ある政治ブログで『水からの伝言』(以下『水伝』)をめぐって論争が起こっているのを見まして。
http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html
(もう一方の方はしばらく休止するようなのでリンク貼りません)
で、あまり騒動に首を突っ込むようなことはしたくないが、こりゃまずいなぁと感じたことを一つ。
批判を受けたブログ主の方は、『水伝』に科学的根拠がないことがわかっていた、それでも「いい話」だからとあえて取り上げたという趣旨の発言をしているんですね。
偽科学を信じようという話ではありません、と。
まずいなぁ、と思ったんですよ。
まさに、そのことが問題なのに、と。
(信じて書いているのならまだしも)自分でも怪しいと思っていることを、自分の意見に都合が良いから取り上げた、と発言しているに等しいのに、と。
批判を受けたブログ主は、おそらく誠実な方なのだろうとは思うのだけど、主張の前提となる話の真偽に無頓着というのはまずいよなぁ、と思うわけです。ましてや、政治ブログなのに。
『水からの伝言』に限らず、「科学」がからむと、どうも、思考停止してしまう人が多いらしいんですな。
結論が「いい話」「自分の願望に添う話」であれば、その真偽を確かめることはどうでもよくなってしまうんでしょうか。
で、「これは科学的には証明されていませんが」という一言を添えれば、免罪符になると思ってしまう。
でも、何か主張をしようとする時にデタラメな話を前提にして論を立てちゃいかんというのは、当たり前のことだと思うんですよ。
これが、例えば「日本は単一民族国家だからみんな仲良くしよう」という主張だとしたらどうでしょうかね。
結論はいい話ですよ、「みんな仲良く」なんだから。
でも、前提は間違っている。
ましてや「日本は単一民族国家というのは間違いです、少数民族のアイヌ民族や在留外国人もいるじゃないですか」という批判を受けたとして「アイヌ民族のことは知っている。単一民族国家というのは確かに根拠も何も無いかもしれない。しかし、私が主張したいことはみんなで仲良くしようということなのだ。そんな細かいことにこだわるなんて、あなたは冷たい人だ」という風に反応したら、やはり「アホか!」ってなると思うんですけど。
『水伝』をいい話だと思う人は、ぜひカール・セーガンの著作に目を通してみてほしい。
そして、どちらが社会に対して誠実に、真摯に向き合っているかを、自分の目で確かめてほしい。
少なくとも、科学的思考が「冷たい」とか「非人間的」だなんて言う批判が如何に的外れなものかは、わかってもらえると思うんだけどなぁ。
最後に一つ引用を。
科学の価値は民主主義と相性がよく、この二つは区別出来ないことも多い。(中略)科学と民主主義はどちらも、因習にとらわれない意見を出し、活発な議論をするようにわれわれを励ます。そのどちらもが、充分な根拠と筋の通った意見を出すよう、証拠には厳しい水準を課すよう、そして誠実であるようわれわれに求める。(中略)そして誤りを犯しそうになれば、軌道修正してくれるだろう。科学の思考法や規則や論理が広まれば広まるほど、トマス・ジェファーソンとその仲間たちが心に描いたような世界を手にするチャンスは増えるはずだ。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』より)
| 固定リンク
「いろいろと考えること」カテゴリの記事
- iPhoneと自閉症の支援(2009.06.01)
- 数値をあげればいいってもんじゃないだろうの見本(2008.10.07)
- 「水からの伝言」(2008.09.20)
- 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2)(2008.06.18)
- 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2008.06.12)
「トンデモ」カテゴリの記事
- 「水からの伝言」(2008.09.20)
- 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2)(2008.06.18)
- 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2008.06.12)
- 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(3)(2008.07.08)
- NHKでクリスタルチルドレン(2008.05.12)

コメント