« ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」 | トップページ | 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ »

ガチャポン訴訟を考える(3)「ハインリッヒの法則」

前回記事(ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」)および、
前々回記事(ガチャポン訴訟を考える(1)「安全基準は守ったが」)の続きです。
つうか、前の2つの記事で言いたいことは言ったんですがね、もう一つだけ。

◆「親の責任」を叫ぶ声に覆い隠されてしまうこと

子どもの事故が起きたとき、必ず「親の責任」を問う声があがる。
いわく、事故は親の不注意で起こったものだ、親が注意していれば事故は起きないのだ、と。

だが、あなた方に問いたい。
事故を起こした親は特別なのか、と。
あなた方は、24時間、子どもに対して注意を持続し続けることが出来るのか、と。

注意力を喚起するには、あらかじめリスクについての予測を立てられなければならない。

家庭内の事故が起こった時に、必ず「メーカーの責任を追及していたら包丁も販売できなくなる」ということを言う人がいる。あるいはこんにゃくゼリーの時には「餅はどうするんだ」とか。
しかし、包丁や餅は、その用途や(それこそ何世代にもわたる)経験の蓄積から、誰でもあらかじめリスクの予測が立てられるものだ。だから、皆注意を払うのだ。
もし、包丁を放置していて幼児が怪我をしたとするならば、それは間違いなく親の責任だろう。
しかし、玩具は誰もがリスクを予測できるものではない。
いったい誰が、ガチャポンやこんにゃくゼリーで子どもが死ぬと予測しえるのだろう。

だからこそ、失敗例の集積と解析、そして公開が必要になる。

私たちが今、ガチャポンやこんにゃくゼリーで子どもが死ぬ可能性があると予測できるのは、実際にあった事故の報道を見たからだ。家族からの「苦情」があったからなのだ。

もう一度、東京都生活文化局の「幼児の事故データ」を見て欲しい。「図表8」と「図表9」だ。
それによれば、幼児の事故は「大人の不注意」と答えた人が約7割、「商品自体が問題」「表示等が不備」と販売側に問題があったと考える人はおよそ2割に過ぎない。
そして、苦情の申し出については、94%が「何もしなかった」。
つまり、ほとんどの人が責任の所在に関わらず、事故の経験を個人の経験の中にとどめてしまっている。
そのため、事故の検証はなされず、たとえ商品の欠陥が原因だったとしても表に出ることはない。
事故の経験は社会に活かされることなく、別の場所で同じような事故が漫然と繰り返されるのだ。

「事故サーベイランスシステム」など、幼児の事故について拾い上げて社会に還元するようなシステムのない現状では、親からの苦情が唯一の「事故事例の公開」につながる手段であることは、もっと考えられていい。
「親の責任」の声によって抑圧してしまっては、表にでるはずものも出てこない。

東京都生活文化局の「幼児の事故データ」から引用する。

幼児の事故は、どうしても、大人の管理責任と考えがちです。そして、事故にあっても苦情はほとんど出されません。
しかし、なぜそのような事故が起きたか、原因が解明され、改善がすすまないと、また同じような事故が起きてしまいます。
事故が起きたときには、施設の管理者、販売店やメーカー、そして消費生活センターなどに申し出ましょう。


『事故が起こったあと、人々はどのように対応しているのでしょうか?』(子どもの事故予防情報センター「Safety Site」)より引用
http://www.jikoyobou.info/hv/hv_data/news019.htm

子どもの事故は大人の管理責任と考える人が多く、製品に問題があったと考える人は少ない。したがって、事故について苦情の申し出は行われず、同じ事故が漫然と起こり続けている。
 事故時にそばにいた保護者は、子どもの事故死、重症の事故に対して「自分がみていたのに」「自分が悪かった」と思い詰める。この負い目は一生続く。(中略)
 事故後、訴訟に踏みきる保護者もいる。しかし、訴訟を起こそうと思っても、わが国では被害者側が立証責任を負っており、立証に必要な証拠をメーカー側に開示させることはたいへんむずかしい。裁判には長い年月を必要とし、最ものぞんでいる「二度と同じような事故を起こさないように」という願いは確保されない。

事故の情報を社会に公表しようとする親を、内容について調べもせずに「親の責任」と切って捨てる行為は、ワイドショー的な正義感は満足させるかもしれないが、事故予防には何の役にも立たない。

◆『ハインリッヒの法則』

労働安全衛生の場でよく使われる『ハインリッヒの法則』というものがある。
労働災害に関する経験則で1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)異常が存在するというものだ。
重大事故になるか「ヒヤリ・ハット」で収まるかは、確率の問題にすぎない。
Wikipedia「ハインリッヒの法則」

『家にも小さい子がいるが、こんなのは親の責任だ』と自慢げに語るあなた方も、きっと、自分の子どもをめぐって、危うく事故になりそうな『ヒヤッ』としたり『ハッ』とした経験をお持ちだろう。
おめでとう。そのとき、あなたが引いた悪魔のくじは『はずれ』だったのだ。心からあなたの幸運を祝福する。

だが、大勢の幸運の背後で、世の中には最悪のくじを引いてしまった人がいる。

あなたが今まで幸運だったというだけで、その人々を不当におとしめる必要はどこにもない。
あなたが、今後も悪魔のくじを引かない保証はまったくないのだから。

|

« ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」 | トップページ | 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ »

いろいろと考えること」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ガチャポン訴訟を考える(3)「ハインリッヒの法則」:

» 【労働災害】についてブログや通販での検索結果から見ると… [気になるワードを詳しく検索!]
労働災害 をサーチエンジンで検索しマッシュアップした情報を集めてみると… [続きを読む]

受信: 2008年6月 5日 (木) 10時20分

« ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」 | トップページ | 私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ »