善意を疑うものではない。それでも…
行きがかりで、他の方のブログに余計なことを書いてしまった。
憶測で書くことは避ける、というのはいつも肝に銘じているのだけど、今回ばかりは、つい、反応してしまった。
言い訳ばかりしても仕方がないので、自分自身への自戒も込めて、記載しておく。
まず、ことの発端はThe Japan Royal Academy of Homeopathyの掲示板にある親からの相談が掲載されたことによる。
それは以下の引用からもわかるとおり、真実ならば緊急性を要する事態だと思われた。
ただ、やはり毒だしのレメディ(抗生剤、全身麻酔、胸腺の毒だし)をとると、すごい好転反応がでてしまいます。わかってはいますが、ちょっと続けられないくらい、顔、特に目がはれてパンパン、足もむくみ、蛋白尿がでて、みているのが辛くて断念してしまいます。
そのため、多くの方が事実関係を確認出来ないまま、児相や警察への通報を行った。
結果として、警察の介入により個人が特定され、とりあえずは緊急性のないことが判明した。
◆ 私が反応してしまった部分 ◆
ご自身も児相に通報したlets_skepticさんが、ご自身のブログに反省点と懸念を述べられた。
医療ネグレクトの通報を行って考えたことーSkepticism is beautiful
この記事については、良エントリだと思う。
ところで、コメント欄に naa_san さん が以下のような書き込みをした。
2010/07/25 01:36 私も自分なりにまとめを書こうとしているのですが、なかなか進みません。
この件、ホメオパシー側の問題と、母親の問題とを分けて考える必要があると思います。
この母親は、騙されただけの善良な被害者などではありません。
「少し大袈裟に書いたほうが『体験談』に取り上げてもらえるのではないか」と実際よりも大袈裟に書いてしまった、という母親の言葉を愛媛県警は伝えてきました。
つまり、目立ちたかったわけですよ。重病の子どもを看護する母として。
子どもの点滴に汚水を混入した、代理ミュンヒハウゼン症候群の母親に近いものを感じます。
子どもの健康よりも自分の気持ちを優先する。そういう行動を取る母親です。たとえホメオパシーにはまっていなかったとしても、別の形で虐待を行っていた可能性があります。
虐待に関して、愛情があることは免責事由にはなりません。
ちょっと待て、と思った。
実際に会ったわけでもない。
伝聞から「実際よりも大袈裟に書いてしまった→目立ちたかった」というのはあまりにも飛躍だろう、と。
それは、あなたの思い込みに過ぎないだろう、と。
そして、あなたが責めている母親像は、あなたの思い込みがつくり出したものではないのか、と言いたかった。
だが、私は、認知に歪みがないかを問うのではなく、別の母親像を提示するという愚を冒した。
そのため、 naa_san さんと互いに、推定で特定の母親の状況を語るという、最も避けるべき状態を招いてしまった。
そして、結果的に、 naa_san さんの思い込みを強化してしまったとおもわれる。
◆ 想像と事実を区別すること ◆
現実の世界で児童虐待にあたるかもしれない親子を見たとき、もちろん、児童相談所などしかるべき機関に通報したほうがいい。というより、通告義務がある(平成16年児童虐待防止法改正法)
何より、子どもの安全確保が優先されなくてはいけない。
そのとき私たちの前にいるのは、実在の子どもだ。
少なくとも、親子の様子を自分の目で確かめることはできる。
だが、今回は子どもが実在かどうかわからないネットの中の話だった。
緊急性を疑われる書き込みではあった。
しかし、私たちは、自分の中で親子像を勝手に膨らませて危機感を増幅させていなかっただろうか?
(性別は不明だったにもかかわらず、「女の子」という話になっていたこともあった)
もちろん通報した方々の善意は疑うものではないし、その行動は敬服する。
私は、行動を起こしていない。
それでも、と思う。
警察が介入した現在に至っても、母親の性格を詮索し、不安を募らせる姿勢は『怖い』と感じる。
想像には限度がない。
ネットでは本当の結果が分からないが故に、母親への不信を増幅させてしまったら、それをおさめることは困難を極めるだろう。
人々の想像の中で膨らまされた「悪い母親」のイメージは、親子の幸せを願って悩み葛藤することよりも、集団で責め立てることを選ばせるだろう。
歴史は、人々の中に蔓延したステレオタイプが悲劇的な結果を招くことを、繰り返し繰り返し経験している。
Pia fraus(敬虔な虚偽)という言葉がある。敬虔なキリスト教徒は敬虔なるがゆえにイエスやマリアのイメージをますます美しく描かねばやまず、逆に悪魔やユダヤ人は額に角を生やし、尻尾を下げ、蹄の割れた怪物の姿としてますます醜く描かれねばならない。ヨーロッパの情念史はまさしく敬虔な虚偽によってつむぎ出された無数のイメージが綴るつづれ織りといってもよかろう。『千年王国の追求』 P408
想像と事実を区別すること、それしか、悲劇を防ぐ手立てはない。
まずは、想像を根拠に非難をしないこと。自戒である。
![]() | 千年王国の追求
|
![]() | 魔女狩りの社会史―ヨーロッパの内なる悪霊 (岩波モダンクラシックス)
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コメント
なかなか難しい問題ですよね。
自分の置かれている状況に近しい部分があったりすると、頭に血が昇るのに拍車がかかったりしますし。
私もネットの情報を見る時は感情的にならず冷静かつ客観的に物事を見るように心掛けねば、と思いました。
(私も最近それでちょっと失敗しました)
投稿: きのせんせい | 2010年8月 1日 (日) 13時29分
難しいですよね。
ネットに限ったことではないのでしょうけれど、『売り言葉に買い言葉』で受けてしまうと、偏見が表に出てしまうことがありますよね。
今回も、育児に対する無理解が背景にあると思っています。
今まではその場で済んでいたような偏見ダダ漏れの居酒屋談義でも、ネットでは多くの人の目にさらされる。
それが、偏見だと指摘されていけばいいのですが、むしろ、ネットは人々の偏見を強化してより偏狭な空気を醸成しているような気がします。
投稿: くりず | 2010年8月 9日 (月) 02時05分