『比較のなかの改憲論ー日本国憲法の位値』を読んだ。
改憲されるかもしれない。
少なくとも、現在の自民党は96条の議論に見られたように、改憲要件を緩和してまでもやる気満々だったのは歴然だ。これで衆参両院で与党3分の2を獲得すれば、手をつけないわけがないだろう。
しかも、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」(長勢甚遠、第一次安倍内閣法務大臣)と言って憚らないような人々が考える改憲である。
発言はこちら>https://twitter.com/yuantianlaoshi/status/744946758350835713
現在公表されている自民党の憲法草案がお話にならないのはそうなんだが、各国の憲法と比較してどうなんだっていう視点はなかったなぁ、と思ってこの本を手に取った。
辻村みよ子著『比較のなかの改憲論ー日本国憲法の位置』(岩波新書)
この本を執筆されていたのは、2013年、日本国憲法の改正手続きが厳しすぎると96条の改正が議論になっていた頃だ。
従って、改憲手続きの各国比較と憲法尊重擁護義務にはそれぞれ章を割いて詳しく説明されている。
結論としては日本国憲法の改定手続きは各国と比較して決して厳しいわけではなく、発議にあたってもその重要事項とそうでないものとで手続きが異なる、改正の限界規定を設けている等、とかなり慎重であることなどが明らかにされている。
つまり、ほとんどの国では通常の法律よりも憲法の改定には厳格な手続きを要求しているのであり(硬性憲法)、日本国憲法が特別ではないということだ。
むしろ、国民投票の制度が現状では最低投票率の導入すらなされていないことや「抱き合わせ発案」の可能性を考えると、むしろ議員3分の2の発議さえ通れば、日本国憲法は簡単に改定されるのではないかとすら私は思える。
なお、国によっては改憲手続きの国民投票には最低(絶対)得票率を要件にしている場合も多いと知った。最低(絶対)得票率制度とは、賛成票の得票数を有権者数で割った絶対投票率に下限を設けるもので、有権者全体に占める賛成票の割合の下限を定めるため、前提として高い投票率が要求されるそうだ。
また、「押しつけ憲法」論にも粗雑な議論であると一蹴している。
GHQが自由民権運動の研究をしてきた鈴木安蔵らによる「憲法研究会案」等の民間による草案を参照にしていることなどを挙げている。むしろ憲法史的に見れば、
明治時代の自由民権運動が築いた民主的憲法思想が、鈴木安蔵らの「憲法研究会案」に結実して、ラウエル文書からマッカーサー草案に伝わり、新憲法の中に取り入れられた、という日本国憲法の歴史的事実こそが重要である。と明快だ。
さらに、次の記述もある。
1946年当時の政権与党は「押しつけ」の被害者かもしれないが、多くの国民は「新憲法」の平和主義、表現の自由や社会権などの恩恵を受けて戦後を生きてきたのであり、改憲を主張する政党の利益が主権者国民の利益と絶えず一致してきたわけではない。
まさに。
国家(権力者)の利益と人々の利益は必ずしも一致するわけではない。だからこそ、憲法によって「国家は国民の基本的人権を守るために存在する」という原理を打ち立てる必要があるのだ。
そして、近代憲法は国民主権、権力構造の分立という統治原理でもって国民の人権保障を担保しているのだ。これはフランス人権宣言ですでに明らかにされているもので、日本国憲法だけの話ではない。
そして戦争が究極の人権侵害であることを考えれば、「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」などという発言は戯言以外の何物でもない。
「立憲主義とは多数決によっては覆せないルール(=憲法)をあらかじめ用意しておいて、多数決によって運用される通常の政治の「逸脱・暴走」を阻止しようとするプロジェクト」まさにその通りだ。
それにしても、立憲主義、国民主権、基本的人権についても丁寧に説明されているが、こういうのは常識だと思っていたよ。政権与党の議員がでたらめなんだもんなぁ。
あの自民党草案に賛成するってことは、国民を主権者ではなくて国家への義務を果たすべき者、基本的人権を義務とのバーターで与えられるもの、あるいは権力者からの恩恵にしちゃっうってことなんだけど、それでいいのかってことだよ。
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