トンデモ

「水からの伝言」

「kikulog」経由で次の記事を見つけた。

『ほたるいかの書きつけ』より
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10139358661.html

関東地区公立小・中学校女性校長会の総会で『水からの伝言』の著者である江本勝氏の講演が行われたとのこと。
詳細は『ほたるいかの書きつけ』さんの記事をご覧いただくとして、次の箇所は、あまりにもひどい。
 

先生が用意した妊婦さんの羊水をホメオパシー溶液の倍率である5万倍に薄めた水の結晶を撮影しました。
 羊水の結晶です(写真1)。この羊水に韓国語で「堕胎」という言葉を見せて撮影すると(写真2)、何か文字のようなものが現れました。
 羊水に子どもの写真を見せたら、とってもいい結晶になりました(写真3)。

 (略)相変わらずの安易な実験デザインと解釈であるが、特に羊水を使うということには怒りを禁じえない。「何か文字のようなもの」と言っているが、子どもの写真を見せたらとってもいい結晶になったということと対比させていることからして、「堕胎」は悪である、と暗に言っているといっても差支えないであろう。文脈から切断された単語に善悪を付与するという安易な発想がここでも如何なく発揮されてしまっている。

この実験が許しがたいのは、『堕胎』という、非常に多角的な考察を必要とする、それゆえ認めるにせよ否定するにせよ合意の得にくい問題に対して、マルかバツかという単純思考に落とし込もうとする、その安直さにおいて、である。
結晶の出来不出来を道徳の根拠にするのなら(あまりにもバカバカしい根拠だが)、必然的に二者択一的な価値観しか持ち得ない。

また、実験にただの水でなく羊水を使用したという点に、私は強い懸念を覚える。
「羊水」という言葉に含まれるイメージが「母」や「出産」など、女性の性と生殖に関わるものであることはいうまでもないだろう。また、障害や血縁などマイノリティに関わる側面もあるだろう。
実験者がこれらの問題に無自覚あるいはイノセントであるとは、とても思えない。
おそらく、意図的に羊水を使用しているはずだ。

『羊水』の『結晶』という図像の提示は、羊水と言う単語が持つ母性へのイメージと、結晶と言う単語が持つ聖のイメージを結びつけるものであり、まさに母性の聖化を視覚的イメージに転換する作業に他ならない。

視覚的イメージが与える影響はなかなか馬鹿に出来ないもんで。
『水伝』が批判されてもしぶとく息を吹き返すのは、論理的思考の欠如だけでなく、あの結晶の写真が与える視覚的インパクトによるところが大きいと思う。

つまり、『羊水の結晶』という『図像』が美しければ美しいほど、性や生殖の問題について一方的な価値観を植えつける役割を担うことになるだろう。

あ、念のため書いておくが、5万倍に薄めた羊水なんて、ただの水だ。
この記述だけでも、『羊水の結晶』なんてぇシロモノがちゃんちゃらおかしいってことだ。


なお、『水伝』の問題点については、すでに多くのサイトで述べられているのでここでは繰り返さない。
特に、次のサイトは良くまとめられているので、興味のある方は参照して下さい。

学習院大学の田崎晴明教授による『水伝』反証サイト
「水からの伝言」を信じないでください

「PSJ渋谷研究所Xさん」作成の「水伝FAQ」
『水からの伝言』の基礎知識

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(3)

前回に引き続き、といってもずいぶんと間が空いてしまったんですが…、「クリスタルチルドレン」という概念が自閉症に対する理解を妨げることについて、もう少し述べていきたいと思います。

実は、これについて興味深いブログのエントリを見つけました。
http://blog.goo.ne.jp/manaworld/e/0070bcdab0e6db3ae00005c405c84940

こちらの方は自閉症のお子様がいらっしゃいます。
精神世界には親しんでいらっしゃるが、クリスタルチルドレンには批判的な見解をお持ちのようです。
しかし、方便としての有用性をあげているんですね。

ジェームス・トワイマンのコンサートで、彼が言っていました。「今の人は、ラベルに弱い。クリスタルチルドレンや、インディゴチルドレンとラベルをつける事で、受け入れてくれる人が増えている。個人的には、子供にラベルをつけるのは嫌いだけど、今、しばらくの間、ちょっとの間、ラベルは必要なんです」

一言、今の時代は、そういう人が大半の、そういう社会だってことです。

物質至上主義の社会、特有の対処法だなぁ。。。と思いました。

つまり、『発達障害』と言ったら世間は受け入れないが、『クリスタルチルドレン』と言えば温かく受け入れてくれるということでしょう。
ウソも方便ってヤツでしょうか。

しかし、これについては残念ながら疑問を抱かざるを得ません。

「クリスタルチルドレン」を信奉する人の目的は自分自身の癒しであって、『発達障害』に対する理解ではありません。彼らの望むものはあくまでも自分の理想を投影できる『クリスタルチルドレン』であって、実際に子どもが「発達障害」かどうかはそもそも関心の外なのです(親以外は)。

ですから、彼らは自閉症児を『クリスタルチルドレン』と言い替えてしまえばそれで満足なのであり、実際の自閉症について理解を深める方向へのモチベーションは生じないと思います。
したがって、バーチューの『クリスタルチルドレン」についての説明が実際の自閉症児の特徴とあまりに乖離しているにもかかわらず、信奉する人々はそのことに疑問を覚えることもないですし、またその必要性も感じていません。

ましてや、重度の自閉症児のことなど、始めから彼らの眼中に入っていません。仮にその存在を目にしたとしても「あの子はクリスタルチルドレンではない」と思うだけでしょう。

実際、バーチューのサイトには親御さんのコメントとして「本物の自閉症とは違う」という表現もあります。

私の目から見ると、本物の自閉症とは違う印象なのです(単に軽症ということかもしれませんが)。
ttp://www.jma-inc.jp/blog/user/doreen/taiken/465.html#comments

また、ブログでこんなエントリも見つけています。引用先は示しませんが。

「(前略)T君はクリスタルチルドレンで自閉症ではありません。T君に病院は必要ないです。
とても、純粋で大きな優しさと愛情を持って生まれてきている子ですよ。お父さんとお母さんを守る為に来たと伝えてほしいと言われました」と話した。(強調は引用者による)

このように、『クリスタルチルドレン』という概念が広がったからといって、実際の自閉症児やその家族への態度が温かくなる保証はまったくありません。
むしろ、実態を指摘することは、彼らの「心地よさ」を否定するものとして排斥される可能性が高い。

以下の引用も、クリスタルチルドレンに言及していたブログから拾ったものです。同じく引用先は伏せます。

発達障害とか言われる事が多くあるそうですが、それって誰の基準?っていつも思うのです。 大人たちも余裕がないから、なんとか病気にさせたいのでしょうか? そして納得させたら気が済むと思ってるのでしょうか?
まず、「概念」が極端に違う為、親御さんの理解が無いと、普通におかしい子になってしまします 多動とか、AD/HDとか言われるお子さんのほぼ6割から7割にかけてが、薬物で処理されようとしています この子達は、潰される為に生まれてきた訳ではありません 未来へ花開く為に生まれてきています(強調は引用者による)
最近は本当にいろいろな枠を作って、そこからはみ出している子供達を他の枠にはめたがるようです 少しでも勉強についていけなかったりすると、それだけで言語障害や発達障害というように「普通ではない」と決め付けられて・・・

これら、『発達障害』に対するネガティブな表現の数々は、書き手が元々障害に対して持っていた偏見を図らずも露呈させてしまった結果とも言えるのですけれど、やはり、理想の投影対象である『クリスタルチルドレン』との対比からくるものとして考えるべきだと思います。

つまり、『クリスタルチルドレン』を賞賛しようとすればするほど、『自閉症』『発達障害』という診断が許されざる行為になる。
『障害者』と認めることが忌避すべき行為になる。

このように「クリスタルチルドレン」という概念は、世間の障害に対する認識を改めるのではなく、却って『障害』に対するネガティブイメージを強調する方向に働くのです。

特に、学校現場において『クリスタルチルドレン』という概念が広がったらどうなるか。
子ども達の間で、障害児の選別が起こるのではないか。
「あの子はクリスタルチルドレンだから大切な子」「あの子は本物の自閉症だから私たちと関係ない」という風に。
そして、これが重要なのですが、バーチューのいう「クリスタルチルドレン」の定義に当てはまるような自閉症の子どもはほとんどいないのです。(注)

また、AD/HDの薬物療法に対する偏見も、実際に学校現場で薬を服用している子ども達へのプレッシャーが強まるのでないかと危惧します。
周囲の子どもだけでなく、教師が服用に理解を示さない、という事態が起こらないことを切に願わずに入られません。

AD/HDの治療についてはこちらのサイトを参照していただきたい。
「AD/HDナビ」(特に「体験談を聞く」というページがわかりやすい。)
http://www.adhd-navi.net/index.html

繰り返しますが、『クリスタルチルドレン』という概念を世間一般に無批判に広めることは、発達障害に対する無知と偏見を広めることに他ならないんです。
そんな概念を広めるよりは、きちんとした発達障害についての知識を広めた方がずっと良い。

無責任な愛は、迷惑でしかないってことです。


最後に、自閉症やAD/HDについて、書籍の紹介を。

 光とともに… 1 自閉症児を抱えて 光とともに… 1 自閉症児を抱えて
販売元:セブンアンドワイ
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ドラマにもなったので、有名かと。自閉症の子どもや家族の状況がよくわかるので、多くの方に読んでいただきたいマンガです。現在13巻まで。

 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
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 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
この「ふしぎだね!?◯◯のおともだち」シリーズは、障害の特徴と行動をマンガで解説していて、子ども向けなのですが、大人が見ても充分参考になります。学校図書館にシリーズでそろえてもらいたい本。

(注)いくつかのブログで見つけたクリスタルチルドレンについての説明です。
バーチューのサイトにはないのですが、全く同じ内容で記載されているんで、書籍に載っているのかもしれません。

・インディゴ世代の次(1995年~)に生まれてきた魂
・オーラは、何色ものパステル調の色合いを含み、オパール色(乳白色)に輝いている
・楽しく、愉快で、おおらか
・インディゴと共通しているのが、感受性が高く、霊能力があるところ
・至福に満ちていて、情緒が安定して穏やか
 (たまに癇癪を起こすことはあっても、たいていは寛大でおおらか)
・テレパシー能力あり、そのため言葉を話しだすのが遅い傾向がある
・クリスタルや石に興味をもつ
・人とのつながやりを好み、話好き
・抱き締めたり、ケアをしてもらいたがっている人を、自発的に抱き締め、思いやりを示す
・愛に満ちていて、あけっぴろで、気取らない
・普通の食べ物より菜食を好む

えっとー、これに当てはまるんだったら、自閉症じゃない気がします…(苦笑)

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2)

今回は、前回エントリで書き残した懸念、クリスタルチルドレンという概念が「自閉症という障害に関する理解を妨げること」について述べたいと思います。
前回エントリ「私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ」

バーチューのサイトやスピリチュアルに親和性の高いサイトを見ると、「クリスタルチルドレン」は自閉症と関連づけられているようです。
同様に「インディゴチルドレン」という子ども達もいて、こちらは「注意欠陥多動性障害(ADHD)や注意力欠如障害(ADD)といった精神疾患の誤ったレッテルを貼られることがあります」と。
さらに「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」というように療育を否定するかのような記述もある。

障害のマイナス面ばかりにとらわれていて苦しむ親が、子どもを障害者ではなく「クリスタルチルドレン」と思うことで受け入れられるようになるならば、決して悪い話ではないという見方もあるでしょう。

しかし、その結果が療育の否定では困るわけです。(これは、前回エントリで書いた「子どもを巻き込む」ことにも関わってくるのですが)

自閉症は脳内の情報処理の仕方に問題の起こる生まれつきの障害であって、療育によって生活スキルや社会性を身につけていくことは可能ですが、これは親の思い込みで何とかなるようなものじゃないんですよ。
つまり、適切な支援と周囲の正しい理解を、これほど必要とする障害もない。

にもかかわらず、バーチューは自閉症と診断することはレッテル貼りだと言う
「あなたの子どもには何も問題はないのだ。あなたがレッテルを貼っているだけだ」と囁くのです。

「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」
「彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。」

前回のエントリにも述べたとおり、ここでも外的な困難を内面の問題にすり替えてしまう構造が見られます。

これでは、実際に育児上の困難に直面している親は、余計追いつめられてしまいます。
自分の心の持ちようが悪いのだと言われているに等しいのですから。
あるいは、本当に問題がないのだと思い込もうとして、子どもから療育の機会を奪ってしまうかもしれません。

自閉症だと診断されることは、障害という現実を突きつけられるショックもあるが、同時に、問題は育て方にあるのではないということがわかってすっきりしたと言う親も少なからずいます。
診断は決してレッテル貼りではなく、問題解決の具体的な取り組みへの足がかりになるんです。
もちろん、ショックから立ち上がるには時間がかかりますし、すぐには取り組めないかもしれません。
でもね、それは、子どもが自分らしく生きる権利を確保することになるのですよ。

なお、自閉症がどんな障害かもっと知りたい方はこちらのサイトをぜひご覧下さい。
『新しい自閉症の手引き』
http://www.nucl.nagoya-u.ac.jp/~taco/aut-soc/rainman/index.html
『はじめて出会った自閉症(日本自閉症協会)』
http://www.autism.or.jp/autism05/hajimete.htm

次のエントリでは社会的な影響面について述べたいと思います。

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ

6月も半ばに入ろうとしているのだけれど、相変わらず「クリスタルチルドレン」で検索してくる方が多いんですね。
つうか、そればっか…(汗)
実は、このブログへのアクセスは、そのほとんどが先日あげたエントリ「NHKでクリスタルチルドレン」へのものなんですよ、他の記事はスルーですよ、奥さん(泣)
それだけ「クリスタルチルドレン」という言葉が世間的に関心を持たれているってことなんですかねぇ。

ただ、先日の記事は、どうもハマる人を揶揄していると思われてしまうようなので、改めて何を懸念しているのか、かなり前エントリと被りますが、まじめに書いておこうかと思っています。

まず、「クリスタルチルドレン」についてのおさらいですが、これはNHK「みんなのうた」の4・5月の歌として放送された3曲のうちの1曲です。
NHK「みんなのうた」の4・5月の歌

一見ただの反戦歌にしか見えないこの曲ですが、実は、タイトルに使われている「クリスタルチルドレン」という言葉は、エンジェル・セラピーを創設したドリーン・バーチューという人が唱えている、いわゆるスピリチュアルというか、かなりオカルティックな概念を持つ用語でもある、ということは前回のエントリで書いたとおりです。

ただし、曲そのものは先程も述べたように普通の反戦歌ですし、NHKのサイトにもスピリチュアルについての言及はありません。
なので、はっきりとドリーン・バーチューとの関連を指摘することは出来ません。

しかし、「クリスタル・チルドレン」と言う言葉はドリーン・バーチューのサイトを見る限り、彼らの思想にとってかなり重要な位置を占めています。
したがって、この言葉だけで彼らの思想に簡単にアクセスできてしまうことになります。つまりググるだけで、ね。

いくらスピリチュアルに関心があると言っても、元々ドリーン・バーチューを知っている方は少ないと思うのですよ。
そういう、なんとなくスピリチュアルな人々をこの歌は引き寄せてしまう。
いや、スピリチュアルという意識もなくただ曲に感動してアクセスして、曲の感動を引きずったままバーチューの思想を鵜呑みにしてしまう可能性も否定できないと思っています。

もっとも、スピリチュアルやオカルトで何が悪いっていう意見もあると思うんですね。
なので、ドリーン・バーチューが言うところの「クリスタルチルドレン」についての問題点も指摘しておこうと思います。
私が懸念する問題点は次の2点です。
(1)必然的に子供を巻き込むこと
(2)自閉症という障害に関する理解を妨げること

(1)ですが、本人の中で完結しているのならスピリチュアルだろうがオカルトだろうが、アトランティスやムーの転生だろうが遊星からの物体Xだろうが、まあ、仕方ないか、というところはあります。それが本人の癒しになることもあるでしょう。
ところが、「クリスタルチルドレン」の場合、投影の対象は子ども達なんですね。

幼い子どもにとって、親は絶対です。
親の価値観がどうであれ、子どもは疑問を差し挟むこともできません。
だから、親がどんなに「感動」しようとも、子どもに与える場合はもっと慎重になった方がいい。
少なくとも、これが一般的には「オカルト」と言われるものであることは意識しておいてほしいと思います。

それに、バーチューのサイトにはこんな文章があります。

クリスタルチルドレンは、多くの点で理想的であり、人類が向かっている方向を指し示してくれています。そして、それは、正しい方向なのです。
これ、親が子どもに投影するには、あまりに重すぎる理想ではありませんか?

さらに、「スピリチュアル」にはよくあることなんですけれど、バーチューの思想にも外的な困難を自分の内面の問題にすりかえてしまうという面があるようです。そして、批判を悪いことだとする教えもある。(例えば「天使から学んだ10の教訓」というページには「3. もめごとは、すべて心の投影。」「8. 批判しない。」「9. 意識の持ち方が人生を決める。」という項目があります。)

これでは、子どもに高い理想を押し付ける一方で、「批判するな」というメッセージを送ることになるんですね。しかも、問題が起こるのは自分の心の持ち方にある、という。
このような思考様式は、親には都合がいいかもしれませんが、子どもにとってはかなり抑圧的に働くものです。

こう見てみると、「クリスタルチルドレン」の歌詞にある「戦わなくていいんだよ、好きになっちゃえばいいんだよ」「憎しみも涙に代えて、許せる勇気持って生まれてきたんだ!」という言葉も、自分の内面のみを問題にしている(自分が心地よく感じれば問題は解決する、他者に対する視点がない)という点で、非常にスピリチュアル的といえるかもしれません。

親の言葉は子どもにとっては呪縛にもなりうるものですから、慎重でありたいですよね。

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こちらも参考までに。
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(2)の自閉症の理解については、長くなったので別の機会に書こうと思います。ただ、いつになるやら…。

なお、「みんなのうた」の「クリスタルチルドレン」については、ツカサネット新聞の以下の記事やPSJ渋谷研究所Xさんのところのエントリによくまとめられています。

「クリスタルチルドレン」とは何か?-スピリチュアルな世界へ【前編】
(ツカサネット新聞 2008年05月20日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=16814
「クリスタルチルドレン」とは何か?-ドリーンとエンジェル・セラピー【後編】
(ツカサネット新聞 2008年05月21日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=17018

PSJ渋谷研究所Xさんのエントリ「○○の歌が毎日さりげなく放送される。オッケー?」
http://shibuken.seesaa.net/article/96325193.html
同「クリスタルチルドレンとは何か」
http://shibuken.seesaa.net/article/97447175.html

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NHKでクリスタルチルドレン

現在、NHK「みんなのうた」で放映中の「クリスタルチルドレン」という曲があります。
ブログなどをざっと見てみたところ、「感動した」など好意的な意見が多いんで、水をさすのも何なんですけど。
しかしですね〜、これは公共放送であるNHKで流すにはかなり問題のある曲だと思います。

実は、曲のタイトルである「クリスタルチルドレン」は、いわゆる「スピリチュアル」な人々が使用している用語なんです。
彼らの説によれば、テレパシー能力などを持った新しい種の子供達が生まれていて、人類の進むべき方向を指し示しているんだそうですよ。まあ、はっきり言えばオカルトなんですけれど。

さらに、問題なのは、彼らはこの「クリスタルチルドレン」と言う概念を自閉症に結びつけているんです。
エンジェル・セラピーなるものをやっているこちらのサイトからの引用です。
ttp://doreen.jp/angelguide/007children.html(リンクは貼りませんが一応アドレスは表記しておきます。)

優れたテレパシー能力を備えていることは驚くにはあたりません。クリスタルチルドレンの多くが、話し始めるのが遅く、3、4歳になって初めて言葉をしゃべるというのも珍しいことではありません。しかし、彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。
(中略)
問題が持ち上がるのは、クリスタルチルドレンが、医療や教育関係者によって、 "異常な" 発話パターンを持つと判断されるときです。クリスタルチルドレンの出生数が増えるにつれて、自閉症の診断数が増え、史上最高になっているのは偶然ではありません

まあ、個人が何を信じようがかまわんという見方もあるにはありますよ。
でも、これは、必然的に子供を巻き込むんです。
何しろ、生まれてくる子供達が選ばれた人類だって言ってるんですからね。
子供達を巻き込んでせっせとオカルトを吹き込んでいるんです。

しかも、ですよ。
これら自閉症の子供達は、言葉を文字通り受け取ってしまう可能性がある。
知的には問題が無い高機能自閉症でもです。
(参考までに wikipedia「自閉症」
その子達に幼いうちからオカルトな思考を吹き込んでどうする、と小一時間問い詰めたい気分なんですけれど。将来、カルトや霊感商法の餌食にする気か、と。

で、そんな危なっかしい概念をタイトルにした曲をNHKが「みんなのうた」で流している。

たぶん、NHKは、ただの反戦ソングぐらいに思っているんでしょうけれど、ちょっと検索しただけでもかなりの数のブログが、この曲をスピリチュアルに結びつけて評価しています。
「NHKが流してくれるなんて時代は変わった!」なんてブログがゴロゴロしているんですよ。
映像としても透明なイルカが出てきたり、スピリチュアルを連想させるような作りですしね。
制作サイドは確信的なんじゃないかな。

それに…。

「クリスタルチルドレン」でググると上位にくるのが、先に引用したエンジェルセラピーのサイトなんですよ…。
「みんなのうた」を聞いてググったら、真っ先に触れるのがオカルトっていうのは、やっぱり公共放送としては問題なんじゃないですかね〜。

NHK「みんなのうた」公式サイト4月・5月の新曲

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羊水

倖田來未の「羊水が腐る」発言。

まあ、不妊治療やって高齢出産で切迫早産で生まれた子がダウン症児っていうのは、『傷つく』カテゴリーに入る立場なんだろうな、と思いつつ。

もっとも、私自身は、始めにテキストとして見たこともあるのだろうけれど、若いお嬢さんがおバカ発言しちゃったなぁ、ぐらいにしか思わなかったんですよ。
だって、羊水がいつも身体の中にあるわきゃないし、身体の中で羊水に限らず体液なり組織なりが『腐る』ってことがあったら、それこそ大変なことだろうよ。子どもを産むどころじゃねぇよ、ってな具合で(笑)

ただ、そのあとのいろんな反応をみていると、高齢出産のリスクと絡めた発言がかなり見られる。
で、お約束のように必ずダウン症の発症率が言及される。

まさに、その『リスク』とやらをモロに被った身としては、苦笑するしかないのだけど。
そうですか、ダウン症児を産むってことは『腐った』と表現されてもかまわないほどヤバいものなのですか、と。

特に、このゲンダイネットの記事は軽卒だなぁ、と思う。

“35歳”羊水は一体どうなるのか (ゲンダイネット)

 35歳を越えたお母さんの羊水は、ホントのところどうなるのか——。

 倖田來未がラジオ番組で発言した「35歳羊水腐る」説。本人はふざけ半分のつもりだったようだが、活動自粛に追い込まれるなど深刻なダメージを受けた。

 それでは、「羊水は腐る」のだろうか。「らら女性総合クリニック」の松村圭子院長が言う。

「生まれる前の赤ちゃんがウンチをすると羊水が濁るケースがあります。羊水混濁という症状ですが、ウンチが赤ちゃんの気管に入ると危険なため、“仮死”の兆候のひとつと考えられています。これを“腐る”と誤解したのかもしれません」

 もっとも、「羊水混濁」は35歳以上になると増えるという。

「35歳を越えた高齢出産では、卵子が老化して受精や着床がしにくくなります。着床しても胎盤が弱く、微小な血栓が血流を妨げて赤ちゃんに栄養や酸素が行くのを阻害すれば、赤ちゃんにとって厳しい環境になり、生まれる前に苦しくなってウンチをしてしまうこともあるのです。ダウン症の発症率をみても、20代の出産では1000人に1人ですが、40代は100人に1人。やはり、20代前半に比べると、羊水は腐りませんが、リスクは格段に高いのです」(松村圭子院長)

 転職とか出産とか、世の中には35歳から難しくなることが多すぎる。

【2008年2月5日掲載記事】

まず、倖田來未の発言に羊水混濁など一言も出てこない上(比喩だとも言っていない)、一般的にほとんど知られていない用語を持ち出して、強引に結びつけること自体軽率だと思うが。

おまけに、羊水混濁は予定日を2週以上過ぎた過期産との関連が取り上げられるが、特に高齢出産に結びつけられる話ではない。
ましてや、ダウン症の発症とは何の関係もない。

おそらく、倖田來未と同様、この医師にも悪気はないのだろうが、『腐る』という言葉にどうしてこうも軽々と『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉をかぶせることが出来るのだろう。
このことによって、『腐る』という印象を補強していることに気がつかない無神経さはどういうものだろう。

このテキストは様々なブログで引用されており、「羊水って腐らないけれど、濁るんだって」「高齢出産はダウン症が生まれやすいんだって」と言った反応を見るにつけ、これからは『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉が『腐る』という印象と結びついて残っていくのではないかと思うと、気分が重くなる。

この問題については、もう少し書こうと思うことがあるのだけど、もう遅いので今日はここまで。
続きを書く暇があればいいけれど。

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つぶやき

事実よりも情に訴えることの方が大切なのだろうか。

『水伝』めぐる一連のエントリをつらつらと見ていて感じたことなんですけれど、これが「共感」や批判の仕方といった問題にすり替えられてしまっているのを見て、ちょっとうつな気持ちに。

どうして、こんなにも「事実」に対して無頓着なんだ。
少なくとも、政治を語るのであれば事実の検証には敏感でなくてはならないだろうに。
論理よりも感情を優先して、どうしてポピュリズムを批判できよう。

「都合の良い説であれば真実かどうかは問わない」という思考様式が政治の場面で蔓延したとき、悲劇的な結末をまねくことが何度も繰り返されているのに。

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自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々

年末から正月にかけて、ある政治ブログで『水からの伝言』(以下『水伝』)をめぐって論争が起こっているのを見まして。
http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html
(もう一方の方はしばらく休止するようなのでリンク貼りません)
で、あまり騒動に首を突っ込むようなことはしたくないが、こりゃまずいなぁと感じたことを一つ。

批判を受けたブログ主の方は、『水伝』に科学的根拠がないことがわかっていた、それでも「いい話」だからとあえて取り上げたという趣旨の発言をしているんですね。
偽科学を信じようという話ではありません、と。

まずいなぁ、と思ったんですよ。
まさに、そのことが問題なのに、と。

(信じて書いているのならまだしも)自分でも怪しいと思っていることを、自分の意見に都合が良いから取り上げた、と発言しているに等しいのに、と。

批判を受けたブログ主は、おそらく誠実な方なのだろうとは思うのだけど、主張の前提となる話の真偽に無頓着というのはまずいよなぁ、と思うわけです。ましてや、政治ブログなのに。

『水からの伝言』に限らず、「科学」がからむと、どうも、思考停止してしまう人が多いらしいんですな。
結論が「いい話」「自分の願望に添う話」であれば、その真偽を確かめることはどうでもよくなってしまうんでしょうか。
で、「これは科学的には証明されていませんが」という一言を添えれば、免罪符になると思ってしまう。
でも、何か主張をしようとする時にデタラメな話を前提にして論を立てちゃいかんというのは、当たり前のことだと思うんですよ。

これが、例えば「日本は単一民族国家だからみんな仲良くしよう」という主張だとしたらどうでしょうかね。
結論はいい話ですよ、「みんな仲良く」なんだから。
でも、前提は間違っている。

ましてや「日本は単一民族国家というのは間違いです、少数民族のアイヌ民族や在留外国人もいるじゃないですか」という批判を受けたとして「アイヌ民族のことは知っている。単一民族国家というのは確かに根拠も何も無いかもしれない。しかし、私が主張したいことはみんなで仲良くしようということなのだ。そんな細かいことにこだわるなんて、あなたは冷たい人だ」という風に反応したら、やはり「アホか!」ってなると思うんですけど。

『水伝』をいい話だと思う人は、ぜひカール・セーガンの著作に目を通してみてほしい。
そして、どちらが社会に対して誠実に、真摯に向き合っているかを、自分の目で確かめてほしい。
少なくとも、科学的思考が「冷たい」とか「非人間的」だなんて言う批判が如何に的外れなものかは、わかってもらえると思うんだけどなぁ。

最後に一つ引用を。

科学の価値は民主主義と相性がよく、この二つは区別出来ないことも多い。(中略)科学と民主主義はどちらも、因習にとらわれない意見を出し、活発な議論をするようにわれわれを励ます。そのどちらもが、充分な根拠と筋の通った意見を出すよう、証拠には厳しい水準を課すよう、そして誠実であるようわれわれに求める。(中略)そして誤りを犯しそうになれば、軌道修正してくれるだろう。科学の思考法や規則や論理が広まれば広まるほど、トマス・ジェファーソンとその仲間たちが心に描いたような世界を手にするチャンスは増えるはずだ。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』より)

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こういうのは商売上手っていうのかな〜

先日のエントリ(「小さい水槽ほど管理は大変なのになぁ」)の関連で見つけたコネタからまた一つ。

リンク: 風流で美しい、「水中生け花」の世界 | エキサイトニュース.

ガラスのなかで涼しげに漂う水草と魚たち——見ているだけで癒される新感覚のインテリア、「グラスリウム」をご存知ですか?

さっそく販売元サイト(KOYO生科学研究所HP)を見たところ、グラスリウムとは、熱帯魚飼育セット一式と考えていい商品なんですけれど、水までついているのがミソ。このバイオーターという特殊な水のおかげで濾過器やエアーポンプなしで熱帯魚が飼えるというのがウリな訳です。

…が、

そのバイオーターの説明がすんごいんですよ。どこからツッコんだらいいか分からないくらい(笑)
「蘇生状態菌」とか「崩壊菌」というのもよくわからないんですが、

バイオーターの蘇生状態菌はこの崩壊菌を蘇生状態菌に変える力があります。

と言われた日にゃ、どうすればいいんですかね。
私は、「マトリックス」のエージェント・スミスを連想してしまったんですが(笑)

蘇生状態菌でできているバイオーターは蒸発すると、周りの空気を浄化してくれる働きもします。 グラスリウムを置くだけで、何となく気持ちがいいのは「気のせい」じゃなくて、本当に科学的に良い「気」にしてくれるからなのです。

…「気のせい」だと思います。
つうか、アクアリウムを見てイライラするという人も、あまりいないと思いますが。

「研究の歩み」というページもなかなか味わい深いです。
特に「水が変われば社会が変わる」という文章では、「水からの伝言」の影響を強く感じさせてもらえます(笑)
例えば、こんな風に。

水は周りの情報(波動)を理解して一瞬で変化するだけでなく、良くなろうという意志を持つ、地上で一番賢い物質だからです。悪くなった水も、いい情報(波動)を送ることですばやく変化します。水が良くなれば波動の共鳴関係によって世の中も良くなっていくのです。

うひゃぁ。
そんな恐れ多い水を、人間ごときが気軽に飲んでいいのか心配になりますよ〜(笑)

しかしですね、説明文の破壊力に比べて、グラスリウム自体は割と普通の商品という印象を持ちました。
値段はともかく。
おそらくバイオーターはアンモニアを分解するバクテリアが含まれた水でしょう。
魚もアカヒレやプラティなど比較的丈夫で飼いやすい種類ばかりです。飼育数を控えて、餌のやり方や水温に気をつければ濾過器がなくても飼育できると思います。
関連商品を見てみると、専用ヒーターや(たぶん)メチレンブルーを主成分とする薬品、水草用のCO2や肥料、アオコ抑制剤など「特殊な水」を使っている割には普通の熱帯魚飼育用品がならんでいます。

で、ここからは想像なんですけれど、この会社、トンデモな説明文の数々は確信的にやっているんじゃないですかねぇ。
というのも、「研究の歩み」というページにこんな文章を見つけたんですよ。

水と微生物の研究をして20年。バイオーターを見つめてきてわかったこと・グラスリウムに教えられたことは、意外にも「日本語のすごさと日本文化の素晴らしさ」でした。「『発明』とは、言葉の発見である。」と常々三浦所長はおっしゃっています。
「目に見えないものを表現する」言葉を多くもつ日本語で考え続けてきたからこそ、バイオーターは生まれたのだと。

つまり…。
普通の熱帯魚飼育用品も、ヨタ話ちょいと神秘っぽくて、ちょいと科学っぽい話をくっつけたら予想以上に売れちゃった、ってことじゃないんですかね。
バイオーターのウリである「蘇生状態菌」が、そもそも(当研究所命名)らしいですし。
http://www.koyo-seiken.com/shop/goods/index.html

キャッチコピーを工夫しただけって言うことでしょうかね。


◆追記 (2011.8.4)◆

未だに「バイオーター」というキーワードで検索してくる方がいるので、念のため追記しておきますが、現在のKOYO生科学研究所のHPには、ここで引用したようなトンデモな表現はありません。ごく普通の熱帯魚飼育用品販売サイトです。
おそらく、国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」の実験水槽に採用されたことで営業に箔が付き、おかしな神秘性をウリにする必要がなくなったのでしょう。

普通になってしまって残念な気もしますが(笑)、まあ、波動だのなんだのというヨタ話がなくなったのは喜ばしいことではありましょう。

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