いろいろと考えること

インフルエンザにつらつらと思うこと・2

沖縄で、子ども達がマスクをして登校している姿がTV報道されていた。
すでに外しちゃって手に持っている子もいて、暑いのに大変だよなぁ、と思う。
子どもに四六時中マスクをつけさせるのは、至難のことだろう。
マスクの扱いだって適切には出来まい。
マスクを手でくちゃくちゃ触ってたら、それが菌のついた手だったりしたら無意味だ。

むしろ、ティッシュを持たせて、咳やくしゃみが出るときに口をおおう(そのティッシュは蓋付きのゴミ箱に捨てさせる)方がいいんじゃないか、とも思う。
手指のアルコール消毒薬も利用しながらね。

これから秋にかけて学校行事も多い中で、いろいろ支障が出てくるだろうなぁ。
なるべく、子ども達に負担のかからないやり方で乗り切って欲しいと思う。


先日の記事には
『ハイリスク層は重症化するから気をつけろ』ってアナウンスは、実際のハイリスク者にとって情報の価値がゼロなんだよね。だって、当たり前のことだもん。
なんていちゃもんつけたわけだが、普段健康な人に対しては、『あなたは軽症で済むかもしれないが、インフルエンザにかかると重症化するリスクの高い人がいる』という情報になるわけで、価値はもちろんある。

で、こういう情報を出すことで「重症化防止に焦点を置いて対策を進めないといけない」(19日、厚労省 中嶋建介・感染症情報管理室長)という話に国民の同意を取り付け、ハイリスク群への対策実施ということになると思っていたのだが、どうも、ワクチン接種の優先順位に関する報道を見ていると、「感染拡大防止」とごっちゃになっている気がしてならない。

もちろん、感染拡大を防ぐことは重要だけれど、限られたワクチンで何が出来るかを考えて欲しい。

新型インフルエンザA(H1N1)は、幸いにも、それほど毒性の強いものではない。
健康な大人がかかった場合は抗インフルエンザ薬の投与も必要ないという(WHOガイドラインなど)。
感染に怯えるのでなく、また、感染しても慌てず、冷静に行動してほしいと思う。

そして、風邪症状が出たときは、軽症でも他の人にうつさないよう外出を控えてゆっくり休んでほしい。
本人の為であると同時に、ハイリスク者への感染を防ぐことにもなるから。

新型インフルエンザでなかったとしても、季節性インフルエンザや風邪もハイリスク者にとっては充分怖いのです。

春の騒動のときに新型インフルエンザに不安を感じていた人は、ちょっと想像してみてほしい。
ハイリスク者を抱える家族は、毎年毎年、その不安を抱えて一冬過ごすのですよ。
それが、今年は1年中続くのですよ。

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新型インフルエンザ報道につらつらと思うことなど

リンク: 新型インフル、「本格的な流行が始まった」—舛添厚労相 -医療介護CBニュース-.

新型インフルエンザの本格的流行が始まったとかで、やっとワクチン接種の優先順位、なんてぇ話になっています。

5月の時も思ったんですけれど、厚労省の(つうか、記者会見での)情報の出し方は、わざわざパニックを煽る為に出しているんじゃないかって思っちまうくらい、下手ですね〜。
患者の定点医療機関当たりの報告数なんてずっとやっているのに、死者が出てから「第1波の本格的な流行が、既に始まっていたと考えていいと思う」なんて発表をして、さらにその後でワクチン接種の優先順位を検討する為の専門家の検討委員会って、どんだけ泥縄なんだよって感じ。
だいたい、ワクチン数の不足は5月の段階で予想がついていたろうに。
WHOが6月にはパンデミック宣言を出していたろうに。


それにしても、これも5月から思っていたんだけれど、で、未だにそうなんだけれど
慢性呼吸器疾患や慢性心疾患などの基礎疾患を有する人、妊婦、乳幼児を「重症化するリスクが高いとされている」とした上で、早期受診、早期治療を心掛けるよう求めた。
って報道ね。 この『ハイリスク層は重症化するから気をつけろ』ってアナウンスは、実際のハイリスク者にとって情報の価値がゼロなんだよね。 だって、当たり前のことだもん。

早期受診、早期治療を推奨するのは、新型インフルエンザウィルスにタミフルやリレンザなどの抗ウィルス薬が有効だからでしょう。だから早期受診なんでしょう。そういうことをアナウンスしなきゃ。

つうか、ね。

ハイリスク者にとっては、季節性インフルエンザだって、RSウィルスだって、マイコプラズマだって、肺炎球菌だって、かかりゃあ重症化するリスクがある。

だから、「リスクがある」なんて漠然と言われても、不安を煽られるだけで他の感染症と比べてハイリスク者にどの程度のリスクがあるのかが判断できないんだよね。
一方で弱毒性との情報もあるわけで、じゃあ、どの程度の警戒レベルで行動すればいいのかってことが余計見えにくい。

実際、ウチも季節性インフルエンザの流行する冬は外出を控えるけれど、その警戒レベルで1年中過ごすのは不可能だよ。赤ちゃんの時ならともかく、1年中家に閉じ込めていたら発達に支障が出るよ。

現状が冬期の流行期に比較してどの程度の事態なのかだけでも、(未確定の要素が多いとはいえ)あれば判断材料になるんだけれど。
『流行期』に入ったと漫然と言われてもね〜。
やっと、ここへ来て『インフルエンザ患者の定点医療機関当たりの報告数』というのが出てきたけれど、それでも、報道だけではその数値にどれほどの意味があるのかが見えにくい。

で、国立感染症研究所感染症情報センターのサイトに行ってみたら、『インフルエンザ流行レベルマップ』なんていうものがある。
https://hasseidoko.mhlw.go.jp/Hasseidoko/Levelmap/flu/guide.html
で、見たら視覚的にわかりやすく流行レベルが把握できるようになっている。
同時に、今シーズンの動きや過去シーズンの動きも公開されているので、それらを比較することも出来る。

なんだよ。こういうのを出してくれよ。

最新のマップ/2009年 第33週 (8月10日〜8月16日) 2009年8月19日現在
第33週は1.69(患者報告数7,750)となり、季節性インフルエンザの全国的な流行開始の指標値(1.00)を上回った。

感覚的で申し訳ないが、季節性インフルエンザであれば「そろそろ予防接種を打たなきゃ」と動き出すレベルって感じかな。
もちろん現状ではワクチンはないのだから、親が手洗い・うがいを徹底するしかないのだけどな。
夏休みが終わったらどう状況が変わるかも、注意が必要かな。

あと、季節性インフルエンザワクチンの情報も欲しいよなぁ。


それにしても、大臣の「国民全体の慢心も、感染の拡大につながっている」ってどういう言い草だろうね。 手洗い・うがいだけで、パンデミックが防げるわけなかろうに。 今頃ワクチンの検討委員会なんてやってる方がよっぽど慢心じゃないのかね。

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iPhoneと自閉症の支援

お久しぶりです。
こんな無精なブログにも関わらず、インフルエンザ騒動のおり、おチビの健康を心配して下さる方もいらっしゃり大変感謝しております。
おチビも大変元気です。

で、新型インフルエンザについて、思うことなどを書こうと思ったのですが、その前にちょっと面白い記事を見つけたので簡単にご紹介をば。

リンク: iPhoneとiPodTouchが自閉症の子供を助ける!|世界メディア・ニュース.

この記事だけだと概要がよく分からないのですが、元記事の「USATODAY.com」をみると、あらかじめ基本的なコメントや質問をアイコンにしておいて、それをタッチすることで音声出力しコミュニケーションの介助をするアプリケーションを作成した、ということらしいです。

http://www.usatoday.com/printedition/life/20090528/iphoneautism28_st.art.htm

いや〜、これは面白いなぁ。
自閉症などの発達障害児は、耳からの情報よりも視覚からの情報を取り入れる方が容易、っていうのはもう親にとっては常識で、身振りのサインや絵カードの利用なんてのが勧められたりするのだけれども、やはりカードはかさ張るからね〜。
おチビも、トイレや学園での教室移動は写真で見せた方が理解しやすかったりしています。

元記事にあるように、iPod touchを腕につけておいて必要なときにタッチスクリーンに触れて必要なアイコンを探し提示する、というのは言語遅滞の子ども達に取って画期的な支援方法だと思うんですよ。
何より、提示できるアイコン数がカードとは比べ物にならないくらい増やせるでしょう。
それは、語彙が増えるのに等しいんですよ。

以前、携帯電話が普及したときに聴覚障害の方が、「メールで初めて遠隔の人とコミュミケートが可能になった」と話しておられたのを見て「なるほど」と思ったもんですが、発達障害や知的障害においても新しい技術の利用で支援ができる部分はまだあるのではないかと思わせられるニュースでした。


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数値をあげればいいってもんじゃないだろうの見本

リンク: asahi.com(朝日新聞社):こんにゃくゼリー、また幼児死亡 対策取られず17人目 - 社会.

こちらの記事を受けてGIGAZINEがあげた記事が、あまりにもダメダメ。
「こんにゃく入りゼリー」よりものどに詰まって死亡した件数が多い危険な食べ物ベスト10ーGIGAZINE

「厚生労働省:食品による窒息事故に関する研究結果等について」から、「『こんにゃく入りゼリー』よりものどに詰まって死亡した件数が多い危険な食べ物ベスト10」を出したっていうんだけど、自分で追記に書いているとおり「死亡」件数と「死亡+傷病」件数を比較している上に、「カップ入りゼリー」が「こんにゃく入りゼリー」を示していることも読めなかったわけだ

9位:カップ入りゼリー(11例、「こんにゃく入りゼリー」の5.5倍危険)

2008/10/01 15:40追記
非常にわかりにくいのですが、参考にしたレポート中において明示されてはいないものの、文脈から考えて「カップ入りゼリー」というのが「こんにゃく入りゼリー」を示しているようです。また、件数についても死亡事故と傷病程度の事故などを合計して「窒息事故」として記載されているようです。

追記では非常にわかりにくいと書いているが、そもそもこの調査は「ミニカップタイプのこんにゃく入りゼリー」による事故が社会問題になったことを受けて基礎的データを収集するために行われたことが、研究目的に明記されているんですが。データ中の項目として略すことを考えないのかな。

さらに、他の食品の危険度を高く見せようとしたのか、それとも、内容をよく読んでいないのか、消防本部からの回答(これは救急搬送の数ですね)と救命救急センターからの回答(三次救急医療機関に来た患者の数ですね)を合算しちゃってるのですよ(重複している可能性を考えない!)

こんな水増しした数値と比較される「こんにゃく入りゼリー」の死亡者数が、国民生活センターに報告された死亡件数では、アンフェアとしか言いようがない。

つうか、追記をあげた時点で、記事が全く意味のないものであることは明確なのに、なんで掲載を続けるかね。
ネタだからいいと思っているのかなぁ。

しかし、すでに、このリストがあちこちのブログで肯定的に取り上げられ一人歩きをしているんだな。

どんなにいい加減な処理でも、数値になるとそれらしく見えるんだろうか。

なお、元の資料「厚生労働省:食品による窒息事故に関する研究結果等について」は、デタラメではないので、念のため。

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「水からの伝言」

「kikulog」経由で次の記事を見つけた。

『ほたるいかの書きつけ』より
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10139358661.html

関東地区公立小・中学校女性校長会の総会で『水からの伝言』の著者である江本勝氏の講演が行われたとのこと。
詳細は『ほたるいかの書きつけ』さんの記事をご覧いただくとして、次の箇所は、あまりにもひどい。
 

先生が用意した妊婦さんの羊水をホメオパシー溶液の倍率である5万倍に薄めた水の結晶を撮影しました。
 羊水の結晶です(写真1)。この羊水に韓国語で「堕胎」という言葉を見せて撮影すると(写真2)、何か文字のようなものが現れました。
 羊水に子どもの写真を見せたら、とってもいい結晶になりました(写真3)。

 (略)相変わらずの安易な実験デザインと解釈であるが、特に羊水を使うということには怒りを禁じえない。「何か文字のようなもの」と言っているが、子どもの写真を見せたらとってもいい結晶になったということと対比させていることからして、「堕胎」は悪である、と暗に言っているといっても差支えないであろう。文脈から切断された単語に善悪を付与するという安易な発想がここでも如何なく発揮されてしまっている。

この実験が許しがたいのは、『堕胎』という、非常に多角的な考察を必要とする、それゆえ認めるにせよ否定するにせよ合意の得にくい問題に対して、マルかバツかという単純思考に落とし込もうとする、その安直さにおいて、である。
結晶の出来不出来を道徳の根拠にするのなら(あまりにもバカバカしい根拠だが)、必然的に二者択一的な価値観しか持ち得ない。

また、実験にただの水でなく羊水を使用したという点に、私は強い懸念を覚える。
「羊水」という言葉に含まれるイメージが「母」や「出産」など、女性の性と生殖に関わるものであることはいうまでもないだろう。また、障害や血縁などマイノリティに関わる側面もあるだろう。
実験者がこれらの問題に無自覚あるいはイノセントであるとは、とても思えない。
おそらく、意図的に羊水を使用しているはずだ。

『羊水』の『結晶』という図像の提示は、羊水と言う単語が持つ母性へのイメージと、結晶と言う単語が持つ聖のイメージを結びつけるものであり、まさに母性の聖化を視覚的イメージに転換する作業に他ならない。

視覚的イメージが与える影響はなかなか馬鹿に出来ないもんで。
『水伝』が批判されてもしぶとく息を吹き返すのは、論理的思考の欠如だけでなく、あの結晶の写真が与える視覚的インパクトによるところが大きいと思う。

つまり、『羊水の結晶』という『図像』が美しければ美しいほど、性や生殖の問題について一方的な価値観を植えつける役割を担うことになるだろう。

あ、念のため書いておくが、5万倍に薄めた羊水なんて、ただの水だ。
この記述だけでも、『羊水の結晶』なんてぇシロモノがちゃんちゃらおかしいってことだ。


なお、『水伝』の問題点については、すでに多くのサイトで述べられているのでここでは繰り返さない。
特に、次のサイトは良くまとめられているので、興味のある方は参照して下さい。

学習院大学の田崎晴明教授による『水伝』反証サイト
「水からの伝言」を信じないでください

「PSJ渋谷研究所Xさん」作成の「水伝FAQ」
『水からの伝言』の基礎知識

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(3)

前回に引き続き、といってもずいぶんと間が空いてしまったんですが…、「クリスタルチルドレン」という概念が自閉症に対する理解を妨げることについて、もう少し述べていきたいと思います。

実は、これについて興味深いブログのエントリを見つけました。
http://blog.goo.ne.jp/manaworld/e/0070bcdab0e6db3ae00005c405c84940

こちらの方は自閉症のお子様がいらっしゃいます。
精神世界には親しんでいらっしゃるが、クリスタルチルドレンには批判的な見解をお持ちのようです。
しかし、方便としての有用性をあげているんですね。

ジェームス・トワイマンのコンサートで、彼が言っていました。「今の人は、ラベルに弱い。クリスタルチルドレンや、インディゴチルドレンとラベルをつける事で、受け入れてくれる人が増えている。個人的には、子供にラベルをつけるのは嫌いだけど、今、しばらくの間、ちょっとの間、ラベルは必要なんです」

一言、今の時代は、そういう人が大半の、そういう社会だってことです。

物質至上主義の社会、特有の対処法だなぁ。。。と思いました。

つまり、『発達障害』と言ったら世間は受け入れないが、『クリスタルチルドレン』と言えば温かく受け入れてくれるということでしょう。
ウソも方便ってヤツでしょうか。

しかし、これについては残念ながら疑問を抱かざるを得ません。

「クリスタルチルドレン」を信奉する人の目的は自分自身の癒しであって、『発達障害』に対する理解ではありません。彼らの望むものはあくまでも自分の理想を投影できる『クリスタルチルドレン』であって、実際に子どもが「発達障害」かどうかはそもそも関心の外なのです(親以外は)。

ですから、彼らは自閉症児を『クリスタルチルドレン』と言い替えてしまえばそれで満足なのであり、実際の自閉症について理解を深める方向へのモチベーションは生じないと思います。
したがって、バーチューの『クリスタルチルドレン」についての説明が実際の自閉症児の特徴とあまりに乖離しているにもかかわらず、信奉する人々はそのことに疑問を覚えることもないですし、またその必要性も感じていません。

ましてや、重度の自閉症児のことなど、始めから彼らの眼中に入っていません。仮にその存在を目にしたとしても「あの子はクリスタルチルドレンではない」と思うだけでしょう。

実際、バーチューのサイトには親御さんのコメントとして「本物の自閉症とは違う」という表現もあります。

私の目から見ると、本物の自閉症とは違う印象なのです(単に軽症ということかもしれませんが)。
ttp://www.jma-inc.jp/blog/user/doreen/taiken/465.html#comments

また、ブログでこんなエントリも見つけています。引用先は示しませんが。

「(前略)T君はクリスタルチルドレンで自閉症ではありません。T君に病院は必要ないです。
とても、純粋で大きな優しさと愛情を持って生まれてきている子ですよ。お父さんとお母さんを守る為に来たと伝えてほしいと言われました」と話した。(強調は引用者による)

このように、『クリスタルチルドレン』という概念が広がったからといって、実際の自閉症児やその家族への態度が温かくなる保証はまったくありません。
むしろ、実態を指摘することは、彼らの「心地よさ」を否定するものとして排斥される可能性が高い。

以下の引用も、クリスタルチルドレンに言及していたブログから拾ったものです。同じく引用先は伏せます。

発達障害とか言われる事が多くあるそうですが、それって誰の基準?っていつも思うのです。 大人たちも余裕がないから、なんとか病気にさせたいのでしょうか? そして納得させたら気が済むと思ってるのでしょうか?
まず、「概念」が極端に違う為、親御さんの理解が無いと、普通におかしい子になってしまします 多動とか、AD/HDとか言われるお子さんのほぼ6割から7割にかけてが、薬物で処理されようとしています この子達は、潰される為に生まれてきた訳ではありません 未来へ花開く為に生まれてきています(強調は引用者による)
最近は本当にいろいろな枠を作って、そこからはみ出している子供達を他の枠にはめたがるようです 少しでも勉強についていけなかったりすると、それだけで言語障害や発達障害というように「普通ではない」と決め付けられて・・・

これら、『発達障害』に対するネガティブな表現の数々は、書き手が元々障害に対して持っていた偏見を図らずも露呈させてしまった結果とも言えるのですけれど、やはり、理想の投影対象である『クリスタルチルドレン』との対比からくるものとして考えるべきだと思います。

つまり、『クリスタルチルドレン』を賞賛しようとすればするほど、『自閉症』『発達障害』という診断が許されざる行為になる。
『障害者』と認めることが忌避すべき行為になる。

このように「クリスタルチルドレン」という概念は、世間の障害に対する認識を改めるのではなく、却って『障害』に対するネガティブイメージを強調する方向に働くのです。

特に、学校現場において『クリスタルチルドレン』という概念が広がったらどうなるか。
子ども達の間で、障害児の選別が起こるのではないか。
「あの子はクリスタルチルドレンだから大切な子」「あの子は本物の自閉症だから私たちと関係ない」という風に。
そして、これが重要なのですが、バーチューのいう「クリスタルチルドレン」の定義に当てはまるような自閉症の子どもはほとんどいないのです。(注)

また、AD/HDの薬物療法に対する偏見も、実際に学校現場で薬を服用している子ども達へのプレッシャーが強まるのでないかと危惧します。
周囲の子どもだけでなく、教師が服用に理解を示さない、という事態が起こらないことを切に願わずに入られません。

AD/HDの治療についてはこちらのサイトを参照していただきたい。
「AD/HDナビ」(特に「体験談を聞く」というページがわかりやすい。)
http://www.adhd-navi.net/index.html

繰り返しますが、『クリスタルチルドレン』という概念を世間一般に無批判に広めることは、発達障害に対する無知と偏見を広めることに他ならないんです。
そんな概念を広めるよりは、きちんとした発達障害についての知識を広めた方がずっと良い。

無責任な愛は、迷惑でしかないってことです。


最後に、自閉症やAD/HDについて、書籍の紹介を。

 光とともに… 1 自閉症児を抱えて 光とともに… 1 自閉症児を抱えて
販売元:セブンアンドワイ
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ドラマにもなったので、有名かと。自閉症の子どもや家族の状況がよくわかるので、多くの方に読んでいただきたいマンガです。現在13巻まで。

 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
この「ふしぎだね!?◯◯のおともだち」シリーズは、障害の特徴と行動をマンガで解説していて、子ども向けなのですが、大人が見ても充分参考になります。学校図書館にシリーズでそろえてもらいたい本。

(注)いくつかのブログで見つけたクリスタルチルドレンについての説明です。
バーチューのサイトにはないのですが、全く同じ内容で記載されているんで、書籍に載っているのかもしれません。

・インディゴ世代の次(1995年~)に生まれてきた魂
・オーラは、何色ものパステル調の色合いを含み、オパール色(乳白色)に輝いている
・楽しく、愉快で、おおらか
・インディゴと共通しているのが、感受性が高く、霊能力があるところ
・至福に満ちていて、情緒が安定して穏やか
 (たまに癇癪を起こすことはあっても、たいていは寛大でおおらか)
・テレパシー能力あり、そのため言葉を話しだすのが遅い傾向がある
・クリスタルや石に興味をもつ
・人とのつながやりを好み、話好き
・抱き締めたり、ケアをしてもらいたがっている人を、自発的に抱き締め、思いやりを示す
・愛に満ちていて、あけっぴろで、気取らない
・普通の食べ物より菜食を好む

えっとー、これに当てはまるんだったら、自閉症じゃない気がします…(苦笑)

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2)

今回は、前回エントリで書き残した懸念、クリスタルチルドレンという概念が「自閉症という障害に関する理解を妨げること」について述べたいと思います。
前回エントリ「私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ」

バーチューのサイトやスピリチュアルに親和性の高いサイトを見ると、「クリスタルチルドレン」は自閉症と関連づけられているようです。
同様に「インディゴチルドレン」という子ども達もいて、こちらは「注意欠陥多動性障害(ADHD)や注意力欠如障害(ADD)といった精神疾患の誤ったレッテルを貼られることがあります」と。
さらに「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」というように療育を否定するかのような記述もある。

障害のマイナス面ばかりにとらわれていて苦しむ親が、子どもを障害者ではなく「クリスタルチルドレン」と思うことで受け入れられるようになるならば、決して悪い話ではないという見方もあるでしょう。

しかし、その結果が療育の否定では困るわけです。(これは、前回エントリで書いた「子どもを巻き込む」ことにも関わってくるのですが)

自閉症は脳内の情報処理の仕方に問題の起こる生まれつきの障害であって、療育によって生活スキルや社会性を身につけていくことは可能ですが、これは親の思い込みで何とかなるようなものじゃないんですよ。
つまり、適切な支援と周囲の正しい理解を、これほど必要とする障害もない。

にもかかわらず、バーチューは自閉症と診断することはレッテル貼りだと言う
「あなたの子どもには何も問題はないのだ。あなたがレッテルを貼っているだけだ」と囁くのです。

「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」
「彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。」

前回のエントリにも述べたとおり、ここでも外的な困難を内面の問題にすり替えてしまう構造が見られます。

これでは、実際に育児上の困難に直面している親は、余計追いつめられてしまいます。
自分の心の持ちようが悪いのだと言われているに等しいのですから。
あるいは、本当に問題がないのだと思い込もうとして、子どもから療育の機会を奪ってしまうかもしれません。

自閉症だと診断されることは、障害という現実を突きつけられるショックもあるが、同時に、問題は育て方にあるのではないということがわかってすっきりしたと言う親も少なからずいます。
診断は決してレッテル貼りではなく、問題解決の具体的な取り組みへの足がかりになるんです。
もちろん、ショックから立ち上がるには時間がかかりますし、すぐには取り組めないかもしれません。
でもね、それは、子どもが自分らしく生きる権利を確保することになるのですよ。

なお、自閉症がどんな障害かもっと知りたい方はこちらのサイトをぜひご覧下さい。
『新しい自閉症の手引き』
http://www.nucl.nagoya-u.ac.jp/~taco/aut-soc/rainman/index.html
『はじめて出会った自閉症(日本自閉症協会)』
http://www.autism.or.jp/autism05/hajimete.htm

次のエントリでは社会的な影響面について述べたいと思います。

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ

6月も半ばに入ろうとしているのだけれど、相変わらず「クリスタルチルドレン」で検索してくる方が多いんですね。
つうか、そればっか…(汗)
実は、このブログへのアクセスは、そのほとんどが先日あげたエントリ「NHKでクリスタルチルドレン」へのものなんですよ、他の記事はスルーですよ、奥さん(泣)
それだけ「クリスタルチルドレン」という言葉が世間的に関心を持たれているってことなんですかねぇ。

ただ、先日の記事は、どうもハマる人を揶揄していると思われてしまうようなので、改めて何を懸念しているのか、かなり前エントリと被りますが、まじめに書いておこうかと思っています。

まず、「クリスタルチルドレン」についてのおさらいですが、これはNHK「みんなのうた」の4・5月の歌として放送された3曲のうちの1曲です。
NHK「みんなのうた」の4・5月の歌

一見ただの反戦歌にしか見えないこの曲ですが、実は、タイトルに使われている「クリスタルチルドレン」という言葉は、エンジェル・セラピーを創設したドリーン・バーチューという人が唱えている、いわゆるスピリチュアルというか、かなりオカルティックな概念を持つ用語でもある、ということは前回のエントリで書いたとおりです。

ただし、曲そのものは先程も述べたように普通の反戦歌ですし、NHKのサイトにもスピリチュアルについての言及はありません。
なので、はっきりとドリーン・バーチューとの関連を指摘することは出来ません。

しかし、「クリスタル・チルドレン」と言う言葉はドリーン・バーチューのサイトを見る限り、彼らの思想にとってかなり重要な位置を占めています。
したがって、この言葉だけで彼らの思想に簡単にアクセスできてしまうことになります。つまりググるだけで、ね。

いくらスピリチュアルに関心があると言っても、元々ドリーン・バーチューを知っている方は少ないと思うのですよ。
そういう、なんとなくスピリチュアルな人々をこの歌は引き寄せてしまう。
いや、スピリチュアルという意識もなくただ曲に感動してアクセスして、曲の感動を引きずったままバーチューの思想を鵜呑みにしてしまう可能性も否定できないと思っています。

もっとも、スピリチュアルやオカルトで何が悪いっていう意見もあると思うんですね。
なので、ドリーン・バーチューが言うところの「クリスタルチルドレン」についての問題点も指摘しておこうと思います。
私が懸念する問題点は次の2点です。
(1)必然的に子供を巻き込むこと
(2)自閉症という障害に関する理解を妨げること

(1)ですが、本人の中で完結しているのならスピリチュアルだろうがオカルトだろうが、アトランティスやムーの転生だろうが遊星からの物体Xだろうが、まあ、仕方ないか、というところはあります。それが本人の癒しになることもあるでしょう。
ところが、「クリスタルチルドレン」の場合、投影の対象は子ども達なんですね。

幼い子どもにとって、親は絶対です。
親の価値観がどうであれ、子どもは疑問を差し挟むこともできません。
だから、親がどんなに「感動」しようとも、子どもに与える場合はもっと慎重になった方がいい。
少なくとも、これが一般的には「オカルト」と言われるものであることは意識しておいてほしいと思います。

それに、バーチューのサイトにはこんな文章があります。

クリスタルチルドレンは、多くの点で理想的であり、人類が向かっている方向を指し示してくれています。そして、それは、正しい方向なのです。
これ、親が子どもに投影するには、あまりに重すぎる理想ではありませんか?

さらに、「スピリチュアル」にはよくあることなんですけれど、バーチューの思想にも外的な困難を自分の内面の問題にすりかえてしまうという面があるようです。そして、批判を悪いことだとする教えもある。(例えば「天使から学んだ10の教訓」というページには「3. もめごとは、すべて心の投影。」「8. 批判しない。」「9. 意識の持ち方が人生を決める。」という項目があります。)

これでは、子どもに高い理想を押し付ける一方で、「批判するな」というメッセージを送ることになるんですね。しかも、問題が起こるのは自分の心の持ち方にある、という。
このような思考様式は、親には都合がいいかもしれませんが、子どもにとってはかなり抑圧的に働くものです。

こう見てみると、「クリスタルチルドレン」の歌詞にある「戦わなくていいんだよ、好きになっちゃえばいいんだよ」「憎しみも涙に代えて、許せる勇気持って生まれてきたんだ!」という言葉も、自分の内面のみを問題にしている(自分が心地よく感じれば問題は解決する、他者に対する視点がない)という点で、非常にスピリチュアル的といえるかもしれません。

親の言葉は子どもにとっては呪縛にもなりうるものですから、慎重でありたいですよね。

毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)Book毒になる親―一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)


著者:スーザン フォワード

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こちらも参考までに。
スピリチュアルにハマる人、ハマらない人 (幻冬舎新書)Bookスピリチュアルにハマる人、ハマらない人 (幻冬舎新書)


著者:香山 リカ

販売元:幻冬舎
Amazon.co.jpで詳細を確認する

(2)の自閉症の理解については、長くなったので別の機会に書こうと思います。ただ、いつになるやら…。

なお、「みんなのうた」の「クリスタルチルドレン」については、ツカサネット新聞の以下の記事やPSJ渋谷研究所Xさんのところのエントリによくまとめられています。

「クリスタルチルドレン」とは何か?-スピリチュアルな世界へ【前編】
(ツカサネット新聞 2008年05月20日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=16814
「クリスタルチルドレン」とは何か?-ドリーンとエンジェル・セラピー【後編】
(ツカサネット新聞 2008年05月21日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=17018

PSJ渋谷研究所Xさんのエントリ「○○の歌が毎日さりげなく放送される。オッケー?」
http://shibuken.seesaa.net/article/96325193.html
同「クリスタルチルドレンとは何か」
http://shibuken.seesaa.net/article/97447175.html

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ガチャポン訴訟を考える(3)「ハインリッヒの法則」

前回記事(ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」)および、
前々回記事(ガチャポン訴訟を考える(1)「安全基準は守ったが」)の続きです。
つうか、前の2つの記事で言いたいことは言ったんですがね、もう一つだけ。

◆「親の責任」を叫ぶ声に覆い隠されてしまうこと

子どもの事故が起きたとき、必ず「親の責任」を問う声があがる。
いわく、事故は親の不注意で起こったものだ、親が注意していれば事故は起きないのだ、と。

だが、あなた方に問いたい。
事故を起こした親は特別なのか、と。
あなた方は、24時間、子どもに対して注意を持続し続けることが出来るのか、と。

注意力を喚起するには、あらかじめリスクについての予測を立てられなければならない。

家庭内の事故が起こった時に、必ず「メーカーの責任を追及していたら包丁も販売できなくなる」ということを言う人がいる。あるいはこんにゃくゼリーの時には「餅はどうするんだ」とか。
しかし、包丁や餅は、その用途や(それこそ何世代にもわたる)経験の蓄積から、誰でもあらかじめリスクの予測が立てられるものだ。だから、皆注意を払うのだ。
もし、包丁を放置していて幼児が怪我をしたとするならば、それは間違いなく親の責任だろう。
しかし、玩具は誰もがリスクを予測できるものではない。
いったい誰が、ガチャポンやこんにゃくゼリーで子どもが死ぬと予測しえるのだろう。

だからこそ、失敗例の集積と解析、そして公開が必要になる。

私たちが今、ガチャポンやこんにゃくゼリーで子どもが死ぬ可能性があると予測できるのは、実際にあった事故の報道を見たからだ。家族からの「苦情」があったからなのだ。

もう一度、東京都生活文化局の「幼児の事故データ」を見て欲しい。「図表8」と「図表9」だ。
それによれば、幼児の事故は「大人の不注意」と答えた人が約7割、「商品自体が問題」「表示等が不備」と販売側に問題があったと考える人はおよそ2割に過ぎない。
そして、苦情の申し出については、94%が「何もしなかった」。
つまり、ほとんどの人が責任の所在に関わらず、事故の経験を個人の経験の中にとどめてしまっている。
そのため、事故の検証はなされず、たとえ商品の欠陥が原因だったとしても表に出ることはない。
事故の経験は社会に活かされることなく、別の場所で同じような事故が漫然と繰り返されるのだ。

「事故サーベイランスシステム」など、幼児の事故について拾い上げて社会に還元するようなシステムのない現状では、親からの苦情が唯一の「事故事例の公開」につながる手段であることは、もっと考えられていい。
「親の責任」の声によって抑圧してしまっては、表にでるはずものも出てこない。

東京都生活文化局の「幼児の事故データ」から引用する。

幼児の事故は、どうしても、大人の管理責任と考えがちです。そして、事故にあっても苦情はほとんど出されません。
しかし、なぜそのような事故が起きたか、原因が解明され、改善がすすまないと、また同じような事故が起きてしまいます。
事故が起きたときには、施設の管理者、販売店やメーカー、そして消費生活センターなどに申し出ましょう。


『事故が起こったあと、人々はどのように対応しているのでしょうか?』(子どもの事故予防情報センター「Safety Site」)より引用
http://www.jikoyobou.info/hv/hv_data/news019.htm

子どもの事故は大人の管理責任と考える人が多く、製品に問題があったと考える人は少ない。したがって、事故について苦情の申し出は行われず、同じ事故が漫然と起こり続けている。
 事故時にそばにいた保護者は、子どもの事故死、重症の事故に対して「自分がみていたのに」「自分が悪かった」と思い詰める。この負い目は一生続く。(中略)
 事故後、訴訟に踏みきる保護者もいる。しかし、訴訟を起こそうと思っても、わが国では被害者側が立証責任を負っており、立証に必要な証拠をメーカー側に開示させることはたいへんむずかしい。裁判には長い年月を必要とし、最ものぞんでいる「二度と同じような事故を起こさないように」という願いは確保されない。

事故の情報を社会に公表しようとする親を、内容について調べもせずに「親の責任」と切って捨てる行為は、ワイドショー的な正義感は満足させるかもしれないが、事故予防には何の役にも立たない。

◆『ハインリッヒの法則』

労働安全衛生の場でよく使われる『ハインリッヒの法則』というものがある。
労働災害に関する経験則で1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の「ヒヤリ・ハット」した(危うく大惨事になる)異常が存在するというものだ。
重大事故になるか「ヒヤリ・ハット」で収まるかは、確率の問題にすぎない。
Wikipedia「ハインリッヒの法則」

『家にも小さい子がいるが、こんなのは親の責任だ』と自慢げに語るあなた方も、きっと、自分の子どもをめぐって、危うく事故になりそうな『ヒヤッ』としたり『ハッ』とした経験をお持ちだろう。
おめでとう。そのとき、あなたが引いた悪魔のくじは『はずれ』だったのだ。心からあなたの幸運を祝福する。

だが、大勢の幸運の背後で、世の中には最悪のくじを引いてしまった人がいる。

あなたが今まで幸運だったというだけで、その人々を不当におとしめる必要はどこにもない。
あなたが、今後も悪魔のくじを引かない保証はまったくないのだから。

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ガチャポン訴訟を考える(2)「知識循環型社会」

前回記事「ガチャポン訴訟を考える(1)『安全基準は守ったが』」の続きです。

◆過去の事故

次の記事は1996年5月の「ASP NEWS」からの引用である。(元記事は「たまご」「幼児」「のど」で検索すると、G o o g l e のキャッシュで見られます。)

■卵形おもちゃ幼児ののどに/長野 御代田町で1月に入院、メーカー側改良へ

 卵を半分に切った恰好のスチロール樹脂製のおもちゃが幼児ののどに詰まり、呼吸困難に陥る事故が、長野県北佐久郡御代田町で起きていたことが、18日までに分かった。県上田消費生活センター(上田市)の指摘を受け、製造元のおもちゃメーカー(東京)は近く、全体をやや大きくして口に入れにくいよう改良した商品に切り替える方針だ。
 このおもちゃは、直径約4センチ、高さ3センチほどのほぼ半球形のものが2個で1セット。合わせると卵の形になる。10年ほど前から、ままごと遊び用に全国に出荷している。
 事故は今年1月に発生した。4歳の兄と一緒に遊んでいた2歳の男の子が、この半球を飲み込み、窒息状態になってしまった。両親がすぐに取り出したものの、呼吸が弱まりぐったりし、8日間入院した。
 母親から相談を受けた県上田消費生活センターは、おもちゃの注意書きに「対象年齢は3歳以上」と明記してあり、誤って飲み込んだときの対策としての通気用の穴も開けてあったことから、「欠陥があるとはいえない」と判断した。が、製造メーカーに事故の報告をし、「改善できる点があれば直して欲しい」と申し入れた。
 これに対し、メーカー側は3月、卵を縦半分に切った形にし、全体をやや大きくすることで、いちばん長い部分が6.5センチと従来品より2.5センチほど長くなるように手直しすることを決めた。改良品は7月頃から生産を始める予定だ。がん具の担当者は「今回のような事故の連絡があったのはおそらく初めて。こうした事故が起きる可能性があることが分かったので、より安全なものに設計し直すことにした」と話している。
 同社は、昨年7月に製造物責任法(PL法)が施工された後、通気用の穴を開けたタイプに改良していた。これまでの出荷分については「欠陥があったわけでない」としている。

半球形という違いはあるが、ガチャポンカプセルと同様、プラスチック玩具の誤飲事故である。大きさもかなり近い。
こちらのメーカーは、事故報告を受けて製品の改良に取り組んでおり、企業の対応としては充分なものだろう。
だが、その経験は他のメーカーに生かされなかった。
もし、この1996年の事故の情報が業界全体に共有され、安全基準の見直しにまで進んでいたら、2002年のガチャポン誤飲事故は防げていたかもしれない。

◆リスク情報の公開と知識の共有化

事故は、リスク要因がある限り、必ず繰り返す。
モグラたたきのように当該商品の見直しをおこなうだけでは、似た構造の商品が残ることになり、いつまでも事故の発生は運任せという状況を放置する。

必要なのは個々のケース対応で終息するのではなく、業界全体にリスク情報が公開され、安全基準の見直しなどに反映されるようなシステムの構築だと思う。
国民生活センターや各都市の消費生活センターがその役割を担っているはずなのだが、個々のケース対応で終わってしまい、結果として、別のところで同じような事故が起きるということが繰り返されている。

と、思ったら、感染症のサーベイランスシステムのような医療機関による事故サーベイランスシステムを作ろうとする動きがあるようだ。
「事故サーベイランスプロジェクトシンポジウム」
http://www.dh.aist.go.jp/projects/child/symposium/index.html

『子どもの事故予防情報センター』も、情報の公開による事故予防の環境づくりを目指しているそうだ。そこでもサーベイランスシステム構築の必要性が述べられている。(上記のプロジェクトにも関わっているようだ)
『子どもの事故予防情報センター Safety Site』(ここは必見!)
http://www.jikoyobou.info/

確かに、現状のように被害者が声を上げなければ情報が埋もれてしまったり、声を上げただけで叩かれる状況では、医療機関による調査監視が有効かもしれない。(重症例は必ず医療機関を通るのだし)
そしてサーベイランスに基づいて、業界が自主的に対応するか、あるいは行政による勧告ということになるのかな。

事故サーベイランスプロジェクトが知識循環型社会という概念を掲げている。その理念を以下に引用する。

*責任転嫁型社会から責任分担型社会へ
 「俺は悪くない」ではなく「もっと,何かできるはず!」
 「悪い奴を探そう」ではなく,「自分なら何ができるか」

*被害者の声を無視しない・無駄にしない社会
  不幸にして生じた事故情報を人類共有の知恵として蓄え活用できる賢い社会

http://www.dh.aist.go.jp/projects/child/symposium/junkan.html


さらに続きます…(汗)

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ガチャポン訴訟を考える(1)「安全基準は守ったが」

リンク: <ガシャポン訴訟>バンダイナムコに賠償支払い 鹿児島地裁 | エキサイトニュース.

「ガシャポン」などと呼ばれる玩具入りカプセルを誤飲し、重度障害を負った鹿児島市の男児(当時2歳10カ月)の両親らが、製造物責任法(PL法)に基づき、製造元のバンダイナムコゲームス(東京都)に約1億800万円の損害賠償を求めた訴訟で、鹿児島地裁は20日、同社に約2626万円の支払いを命じた。高野裕裁判長は「安全性を欠いていた」と構造上の欠陥などを認定。玩具の大きさを定めた業界団体の基準見直しを迫る判断となった。

 原告側弁護士によると、玩具の誤飲でメーカーに製造物責任を認める判決は異例という。

 判決によると、男児は02年8月、プラスチック製の球状カプセル(直径40ミリ)を誤飲し、約30分後に除去したが、低酸素状態などによる脳障害で自力で体を動かせないなどの後遺障害が残った。

 同社は、日本玩具協会作成の安全基準が3歳未満対象の場合に直径31.8ミリ以上と規定していることを挙げ「安全基準を満たし、誤飲の危険はなかった」と主張したが、高野裁判長は「3歳未満の幼児でも開口時の大きさが4センチを超えることは珍しくない。事故防止には基準の直径では不十分」と指摘。構造上の欠陥については「のみ込んだ場合に備えて取り出しやすくするため、角形にしたり、気道確保のための穴を複数設ける設計が必要だった」などとした。

 判決は損害額を7954万円と算定。両親が事故防止の注意義務を果たしたとはいえないとして、同社の責任を3割とした。

 同社は「判決文が届いておらずコメントできない」としている。

 国民生活センターと同社によると、98年以降カプセルの誤飲事故は今回の1件のみ。07年に同種の玩具は同社で1400万個生産されたという。【大塚仁】

◆安全基準の値は妥当か?

初めにこの記事を見たとき、まず感じたのは「3歳未満対象の場合に直径31.8ミリ以上」という安全基準が小せえなぁ、ということだった。
と、言うのも以前、母親学級での講習で子供の誤飲について、保健師さんが「子供の口の大きさはだいたいトイレットペーパーの芯ぐらい」なので、芯を通るものは気をつけろと言ったことを覚えていたからだ。
で、念のために今測ってみたらウチのトイレットペーパーはジャスト40ミリだったよ。まあ、定規なんで誤差はあると思うけどね。
そんでもって母子手帳をめくってみたら幼児の口の大きさは39ミリとある。
ならば、「プラスチック製の球状カプセル(直径40ミリ)」というのは安全どころか、お口にジャストフィット、うっかり何かの弾みで入ったら気管までがっちり塞いで掻きだすことも出来ねぇってことにならないか?
直径40ミリの円筒形や1辺40ミリの立方体はキツいが、球状ならするっと入ってしまうこともありそうだ。

で、ちょっと調べてみたら、こんなのを見つけた。
「チャイルドマウス」というもので、子供の口の大きさに合わせて紙で作った円筒形だ。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/piyopiyo/200605/try.html

で、この記述に注目して欲しい。

「チャイルドマウス」は、子どもの誤飲事故を防ぐための目安になります。1~2歳の子どもの口の大きさは、直径約32ミリ程度。これを通ってしまうものは、小さいお子さんの近くには置かないよう、気をつけましょう。(※強調は引用者による)

直径39ミリのチャイルドマウスもある。
http://www.angel110.jp/ura_060703.html

こちらによれば、「3歳児の口の最大口径は39mm、喉の奥までは51mmあります。」ということだ。

つまり、安全基準が規定する「3歳未満対象の場合に直径31.8ミリ以上」というのは、1〜2歳児の口径をもとに設定されたと考えられる。
3歳未満だからそれでいいじゃないか、と言うわけにはいかないだろう。口の大きさと言うのは3歳の誕生日を境に32ミリから39ミリに変わるわけではない。事故にあった子のように2歳も後半になってくると、ほとんど3歳児と変わらない大きさになっている。
ならば、より口に入りにくい39ミリ以上を基準として採用するべきじゃないかと思う。

◆誤飲事故が多いのは何歳か?

さらに調べるうちに、こんなサイトを見つけた。東京都生活文化局による「幼児の事故データ」だ。
http://www.anzen.metro.tokyo.jp/child_data.html

これの「図表1 幼児の年齢別年間事故率」によれば、一番事故を起こしやすい年齢は1歳だ。しかし、誤飲に限った場合はどうか、この資料からは読みとれない。
ただ、ヒントはある
「図表3 事故の起こりやすい商品等と幼児の年齢」と「図表4 けがとけがの起こりやすい商品等」の2つの表を見て欲しい。
「図表4」では「誤飲」が起こりやすい商品として「医薬品・たばこ・玩具・住居用品」をあげている。
そして、「図表3」では「医薬品・たばこ・カミソリ等」という商品項目に対して事故があったことの印があるのが3歳までなのだ。4歳からは印が無い。
つまり、おかしなものを口にして担ぎ込まれるような事故を起こすのはおおむね3歳ぐらいまでと推測できる。
そりゃあ、事故総数としては1歳児の方が多いだろう。だが、誤飲事故については「危なっかしいのは3歳児まで」だとするならば、3歳児のデータを安全基準にしたほうがよりベターじゃないのか。当たり前だが3歳児の口より大きいものは1〜2歳児の口にも入らないのだ。

◆40ミリって微妙〜

ガチャポンは「プラスチック製の球状カプセル(直径40ミリ)」だ。これは「3歳未満対象の場合に直径31.8ミリ以上」と言う安全基準をクリアしている。
しかし、仮に安全基準が3歳児の口径にあわせた39ミリだったとしても、40ミリならば一応基準をクリアしているとは言える。
とは言え、普通の開発者であれば、誤飲と言う事故を防ぐための安全基準に対して、わずか1ミリだけ大きくするなどと言う設計はやらないだろう。もっと余裕幅を持たせるはずだ。
だからこそ、31.8ミリに対しておよそ25%増の40ミリを採用したんじゃないかと思う。
ところが、不幸なことにそれは3歳児の口の大きさにジャストサイズだったのだ。
もし、初めから安全基準が39ミリであったのなら、と悔やまれてならない。

さらに、「40ミリ」という大きさは別の問題も抱えている。
子供の口に入るか入らないかギリギリの大きさであるため、人によっては「子供の口には入らないだろう」という認知上のエラーを引き起こす可能性があるということだ。
「幼児は何でも口に入れてしまう」ということについては、たぶん、どんな親も常識として意識している。
だが、「プラスチック製の球状カプセル(直径40ミリ)」が幼児の口に入る、ということになると、どの親も常識として持っているとは言いがたい。見た目で「入らない」と思ったとしても「非常識だ」とまでは言えないと思う。

そして、口に入るか入らないかギリギリの大きさで、かつ弾力性の無い球体が口に収まってしまった時、それを取り出すのは口の構造上困難を極める(今回の事故でも除去に30分かかっているとある)。滑らかな表面のプラスチック球体は取り出そうにもとっかかりが無く、却って押し込んでしまう危険性もある。
しかも窒息の救命は時間との勝負だ。

結果として、40ミリという大きさは3歳前後の幼児にとって最も危ない大きさだったということになるんじゃないか?

今回の事故は、安全基準が万全とは限らないことを示している。
安全設計の目的は、単に安全基準の順守することではない。リスクの軽減が実現されることにある。
当然だが、リスク評価は発生する頻度だけで行うものではない。
そのリスクが発生した時の影響、生じた事故被害の大きさも考慮に値する。
今回の事故被害は重度障害という死亡に次ぐ甚大さなのだから、企業にとっても十分検討に値する事例であるはずだ。

長くなってしまったので続きます。

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NHKでクリスタルチルドレン

現在、NHK「みんなのうた」で放映中の「クリスタルチルドレン」という曲があります。
ブログなどをざっと見てみたところ、「感動した」など好意的な意見が多いんで、水をさすのも何なんですけど。
しかしですね〜、これは公共放送であるNHKで流すにはかなり問題のある曲だと思います。

実は、曲のタイトルである「クリスタルチルドレン」は、いわゆる「スピリチュアル」な人々が使用している用語なんです。
彼らの説によれば、テレパシー能力などを持った新しい種の子供達が生まれていて、人類の進むべき方向を指し示しているんだそうですよ。まあ、はっきり言えばオカルトなんですけれど。

さらに、問題なのは、彼らはこの「クリスタルチルドレン」と言う概念を自閉症に結びつけているんです。
エンジェル・セラピーなるものをやっているこちらのサイトからの引用です。
ttp://doreen.jp/angelguide/007children.html(リンクは貼りませんが一応アドレスは表記しておきます。)

優れたテレパシー能力を備えていることは驚くにはあたりません。クリスタルチルドレンの多くが、話し始めるのが遅く、3、4歳になって初めて言葉をしゃべるというのも珍しいことではありません。しかし、彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。
(中略)
問題が持ち上がるのは、クリスタルチルドレンが、医療や教育関係者によって、 "異常な" 発話パターンを持つと判断されるときです。クリスタルチルドレンの出生数が増えるにつれて、自閉症の診断数が増え、史上最高になっているのは偶然ではありません

まあ、個人が何を信じようがかまわんという見方もあるにはありますよ。
でも、これは、必然的に子供を巻き込むんです。
何しろ、生まれてくる子供達が選ばれた人類だって言ってるんですからね。
子供達を巻き込んでせっせとオカルトを吹き込んでいるんです。

しかも、ですよ。
これら自閉症の子供達は、言葉を文字通り受け取ってしまう可能性がある。
知的には問題が無い高機能自閉症でもです。
(参考までに wikipedia「自閉症」
その子達に幼いうちからオカルトな思考を吹き込んでどうする、と小一時間問い詰めたい気分なんですけれど。将来、カルトや霊感商法の餌食にする気か、と。

で、そんな危なっかしい概念をタイトルにした曲をNHKが「みんなのうた」で流している。

たぶん、NHKは、ただの反戦ソングぐらいに思っているんでしょうけれど、ちょっと検索しただけでもかなりの数のブログが、この曲をスピリチュアルに結びつけて評価しています。
「NHKが流してくれるなんて時代は変わった!」なんてブログがゴロゴロしているんですよ。
映像としても透明なイルカが出てきたり、スピリチュアルを連想させるような作りですしね。
制作サイドは確信的なんじゃないかな。

それに…。

「クリスタルチルドレン」でググると上位にくるのが、先に引用したエンジェルセラピーのサイトなんですよ…。
「みんなのうた」を聞いてググったら、真っ先に触れるのがオカルトっていうのは、やっぱり公共放送としては問題なんじゃないですかね〜。

NHK「みんなのうた」公式サイト4月・5月の新曲

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羊水

倖田來未の「羊水が腐る」発言。

まあ、不妊治療やって高齢出産で切迫早産で生まれた子がダウン症児っていうのは、『傷つく』カテゴリーに入る立場なんだろうな、と思いつつ。

もっとも、私自身は、始めにテキストとして見たこともあるのだろうけれど、若いお嬢さんがおバカ発言しちゃったなぁ、ぐらいにしか思わなかったんですよ。
だって、羊水がいつも身体の中にあるわきゃないし、身体の中で羊水に限らず体液なり組織なりが『腐る』ってことがあったら、それこそ大変なことだろうよ。子どもを産むどころじゃねぇよ、ってな具合で(笑)

ただ、そのあとのいろんな反応をみていると、高齢出産のリスクと絡めた発言がかなり見られる。
で、お約束のように必ずダウン症の発症率が言及される。

まさに、その『リスク』とやらをモロに被った身としては、苦笑するしかないのだけど。
そうですか、ダウン症児を産むってことは『腐った』と表現されてもかまわないほどヤバいものなのですか、と。

特に、このゲンダイネットの記事は軽卒だなぁ、と思う。

“35歳”羊水は一体どうなるのか (ゲンダイネット)

 35歳を越えたお母さんの羊水は、ホントのところどうなるのか——。

 倖田來未がラジオ番組で発言した「35歳羊水腐る」説。本人はふざけ半分のつもりだったようだが、活動自粛に追い込まれるなど深刻なダメージを受けた。

 それでは、「羊水は腐る」のだろうか。「らら女性総合クリニック」の松村圭子院長が言う。

「生まれる前の赤ちゃんがウンチをすると羊水が濁るケースがあります。羊水混濁という症状ですが、ウンチが赤ちゃんの気管に入ると危険なため、“仮死”の兆候のひとつと考えられています。これを“腐る”と誤解したのかもしれません」

 もっとも、「羊水混濁」は35歳以上になると増えるという。

「35歳を越えた高齢出産では、卵子が老化して受精や着床がしにくくなります。着床しても胎盤が弱く、微小な血栓が血流を妨げて赤ちゃんに栄養や酸素が行くのを阻害すれば、赤ちゃんにとって厳しい環境になり、生まれる前に苦しくなってウンチをしてしまうこともあるのです。ダウン症の発症率をみても、20代の出産では1000人に1人ですが、40代は100人に1人。やはり、20代前半に比べると、羊水は腐りませんが、リスクは格段に高いのです」(松村圭子院長)

 転職とか出産とか、世の中には35歳から難しくなることが多すぎる。

【2008年2月5日掲載記事】

まず、倖田來未の発言に羊水混濁など一言も出てこない上(比喩だとも言っていない)、一般的にほとんど知られていない用語を持ち出して、強引に結びつけること自体軽率だと思うが。

おまけに、羊水混濁は予定日を2週以上過ぎた過期産との関連が取り上げられるが、特に高齢出産に結びつけられる話ではない。
ましてや、ダウン症の発症とは何の関係もない。

おそらく、倖田來未と同様、この医師にも悪気はないのだろうが、『腐る』という言葉にどうしてこうも軽々と『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉をかぶせることが出来るのだろう。
このことによって、『腐る』という印象を補強していることに気がつかない無神経さはどういうものだろう。

このテキストは様々なブログで引用されており、「羊水って腐らないけれど、濁るんだって」「高齢出産はダウン症が生まれやすいんだって」と言った反応を見るにつけ、これからは『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉が『腐る』という印象と結びついて残っていくのではないかと思うと、気分が重くなる。

この問題については、もう少し書こうと思うことがあるのだけど、もう遅いので今日はここまで。
続きを書く暇があればいいけれど。

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つぶやき

事実よりも情に訴えることの方が大切なのだろうか。

『水伝』めぐる一連のエントリをつらつらと見ていて感じたことなんですけれど、これが「共感」や批判の仕方といった問題にすり替えられてしまっているのを見て、ちょっとうつな気持ちに。

どうして、こんなにも「事実」に対して無頓着なんだ。
少なくとも、政治を語るのであれば事実の検証には敏感でなくてはならないだろうに。
論理よりも感情を優先して、どうしてポピュリズムを批判できよう。

「都合の良い説であれば真実かどうかは問わない」という思考様式が政治の場面で蔓延したとき、悲劇的な結末をまねくことが何度も繰り返されているのに。

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自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々

年末から正月にかけて、ある政治ブログで『水からの伝言』(以下『水伝』)をめぐって論争が起こっているのを見まして。
http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html
(もう一方の方はしばらく休止するようなのでリンク貼りません)
で、あまり騒動に首を突っ込むようなことはしたくないが、こりゃまずいなぁと感じたことを一つ。

批判を受けたブログ主の方は、『水伝』に科学的根拠がないことがわかっていた、それでも「いい話」だからとあえて取り上げたという趣旨の発言をしているんですね。
偽科学を信じようという話ではありません、と。

まずいなぁ、と思ったんですよ。
まさに、そのことが問題なのに、と。

(信じて書いているのならまだしも)自分でも怪しいと思っていることを、自分の意見に都合が良いから取り上げた、と発言しているに等しいのに、と。

批判を受けたブログ主は、おそらく誠実な方なのだろうとは思うのだけど、主張の前提となる話の真偽に無頓着というのはまずいよなぁ、と思うわけです。ましてや、政治ブログなのに。

『水からの伝言』に限らず、「科学」がからむと、どうも、思考停止してしまう人が多いらしいんですな。
結論が「いい話」「自分の願望に添う話」であれば、その真偽を確かめることはどうでもよくなってしまうんでしょうか。
で、「これは科学的には証明されていませんが」という一言を添えれば、免罪符になると思ってしまう。
でも、何か主張をしようとする時にデタラメな話を前提にして論を立てちゃいかんというのは、当たり前のことだと思うんですよ。

これが、例えば「日本は単一民族国家だからみんな仲良くしよう」という主張だとしたらどうでしょうかね。
結論はいい話ですよ、「みんな仲良く」なんだから。
でも、前提は間違っている。

ましてや「日本は単一民族国家というのは間違いです、少数民族のアイヌ民族や在留外国人もいるじゃないですか」という批判を受けたとして「アイヌ民族のことは知っている。単一民族国家というのは確かに根拠も何も無いかもしれない。しかし、私が主張したいことはみんなで仲良くしようということなのだ。そんな細かいことにこだわるなんて、あなたは冷たい人だ」という風に反応したら、やはり「アホか!」ってなると思うんですけど。

『水伝』をいい話だと思う人は、ぜひカール・セーガンの著作に目を通してみてほしい。
そして、どちらが社会に対して誠実に、真摯に向き合っているかを、自分の目で確かめてほしい。
少なくとも、科学的思考が「冷たい」とか「非人間的」だなんて言う批判が如何に的外れなものかは、わかってもらえると思うんだけどなぁ。

最後に一つ引用を。

科学の価値は民主主義と相性がよく、この二つは区別出来ないことも多い。(中略)科学と民主主義はどちらも、因習にとらわれない意見を出し、活発な議論をするようにわれわれを励ます。そのどちらもが、充分な根拠と筋の通った意見を出すよう、証拠には厳しい水準を課すよう、そして誠実であるようわれわれに求める。(中略)そして誤りを犯しそうになれば、軌道修正してくれるだろう。科学の思考法や規則や論理が広まれば広まるほど、トマス・ジェファーソンとその仲間たちが心に描いたような世界を手にするチャンスは増えるはずだ。(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』より)

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