いろいろと考えること

さて。

ココログから未更新期間が1年超えると記事の追加ができなくなるよーってな趣旨のメールが来まして。

下書きは何本かあったはずだよなーと思いながら管理画面見たら、それらの記事が相模原の事件に関することで。

書きかけては途中でやめて、他の記事を書きかけてはやっぱり途中で止まっていて。

自分でもすっかり忘れていたのですが、当時のショックを言葉にできずに悶々としていた姿を見るようで。

いつかは言葉にするべきなんだろうかと思いながら、多分できないだろうと思いつつ下書きを削除するほど割り切れない。

 

と、いうわけで悶々した感情だけを取り合えず書いています。

このブログももうちょっと残しておこうと思います。

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憲法が守るものー日本国憲法と自民党草案を見比べて

私は、日本国憲法を絶対に改正してはならないとは思わない。

だが、現在公表されている自民党の憲法草案はダメだ。
内容がダメすぎる。
こんなのしか考えられない連中が変えようとしているならば、私は護憲だ。日本国憲法には指一本触れさせねぇ、という気持ちになる。

日本国憲法はGHQの押し付けだから自主憲法を制定するのだ!って声高な連中は、その「押し付け」の代わりに出てくる代物が憲法と呼ぶに値しないって現実をちゃんと見ているんだろうか?

例えば、だ。

日本国憲法前文は、国民主権と民主主義の原則について以下のように簡潔明瞭に述べている。

ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

国政は国民の福利のためにあるということ、そのために代表者を選んでいるということだ。
福利は幸福や自由と言い換えたらわかりやすいだろう。つまり国民は幸せに暮らす権利があり、国は国民が幸せに暮らすことを保障しなければいけない

そして、幸せのためにはこれは絶対必要だよね、というのが「基本的人権」だ。

基本的人権が絶対に必要ということは、それが誰かに許してもらうものではなく、何かをすることと交換でもらうものではなく、誰もが生まれながらに持っているってことだ。

力のあるもの(公権力)の横暴によって、どれほど多くの血が流されただろう。幸せを踏みにじられた人々がどれほどいただろう。
「人権」という概念は、そういう人類の血みどろの歴史の中から、幸せのためにこれは絶対に必要だよね、と、多くの人々が考えて生まれたものだ。

それを国家権力に守らせるために明文化されたのが、近代憲法だ。

日本国憲法前文で人類普遍の原理と述べているように、この国民主権と人権保障が近代立憲主義憲法の核心なのだ。

だから、そのルーツはマグナカルタでありアメリカ独立宣言でありフランス人権宣言なのである。
聖徳太子の「17条の憲法」は役人の心得程度のもので、決して近代憲法の参考にはなり得ない。

特に日本国憲法前文では「平和のうちに生存する権利」と明記しているように、誰もが命を脅かされずに生きられる社会を保障すべく努力することを高らかに宣言している。その文章の高邁さには胸が熱くなる。

◆日本国憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

さて、この前文が自民党草案ではどのように変わっているだろう。

◆自民党草案前文

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

一応、国民主権、三権分立、基本的人権という文言はある。

だが、「日本国民は…基本的人権を尊重するとともに」とあり、基本的人権を守るものが国から国民にすり替えられている
しかも、だ。国民に対し、国を守れ、和を尊べ、家族で助け合え、規律を重んじろ、経済活動を通じて国を成長させろ、伝統を継承しろ、と大変やかましい

前文でしょ、文章の綾じゃない? なんて言ってる場合ではない。
日本国憲法では公務員(と天皇)だけに求められていた憲法尊重擁護義務(第99条)が、自民党草案ではすべての国民の義務とされている(第102条)

つまり、この前文も憲法尊重擁護義務によって、限りなく国民の「義務」になってしまう。

憲法の役割が、国を縛るものから国民を縛るものに変わっているのだ
この草案は国民を主権者ではなくて国家への義務を果たすべき者に変えてしまう。

さらに12条によって、基本的人権を国家が保障すべき義務ではなく、国民が課せられた義務とのバーターで与えられるもの、あるいは権力者からの恩恵に変えてしまっている。

第12条(国民の責務) この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない

これは、ほとんど近代立憲主義憲法とは言えないものだ。

そして、どうにかこうにか認められている基本的人権も、権力を制限するための三権分立も、新設された98条・99条の緊急事態条項によって、容易に覆すことができる。特に必要があると認めるときは閣議決定だけで内閣に強大な権限を持たせることができる。

「国民主権、基本的人権、平和主義、これを無くさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」と第一次安倍内閣で法務大臣を務めた人物が発言しているだけのことはある。
彼らがしようとしていることは、自主憲法の制定ではなく、憲法の破壊だ。


なお、こちらのサイトは日本国憲法と自民党草案を、自民党Q&Aにも紐解きながら、何が問題なのか詳しく比較解説している。
丁寧な作業に頭がさがるが、もっと、多くの方の目に触れて欲しいと思う。
「自民党憲法草案の条文解説」
http://satlaws.web.fc2.com/0140.html

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感謝と支援

Twitterでやり取りしたことなのだが、私のネット環境がPCのみで時間的制約がある上に、やりとりに慣れていないこともあって、こっちにまとめることにした。

なお、やり取りは一部、下記にまとめられている。
リンク: 障害者は支援に感謝するべき?健常者は支援されていることに気付いてない? - Togetter.

この一連のやり取りで、『障害の社会モデル』という概念が一般には広がっていないことをあらためて痛感する。それがすれ違いの一因となっていることは間違いないだろう。
もちろん、私の書き方が未熟であることも認めるが。
点字ブロックの設置が「電車で席を譲る」というマナーと同レベルの価値とみなされ、点字ブロックの設置に感謝を感じないのかという感想は、残念ながらまだ多くの人が感じるものであろう。背景には、障害が個人レベルの問題としてしかとらえられず、障害者への施策が障害者の権利を補償するためのものとしてより、社会の余剰として行われるもの「善意でしてあげるもの」という意識がどこかにあるのではないだろうか。
なお、私が権利は恩恵ではないと書いたのはこの点をふまえている。

◆◆ 障害者とはなにか?ー障害概念の変化ー ◆◆

先ほどから『障害の社会モデル』と何度も書いているが、それに対応する概念が『障害の医療モデル』である。

『障害の医療モデル』は障害を個人の機能、能力の欠如とみなすものであって、個人特有の問題、個人が克服すべき問題と考える。そのため、他の人々と違う扱いを受けてもそれは機能障害や能力障害の結果であって、社会の差別とは把握されない。
これが、障害に対する古くからの認識であり、今でも一般的な見方ではある。

これに対して、1980年代頃から、障害に対する新しい概念が生まれている。それが『障害の社会モデル』である。この辺の歴史は私の力量ではカバーしきれないので割愛するが、2006年に採択された障害者の権利条約でもこのモデルが採用されている。

『障害の社会モデル』は障害を「社会との関係性」に着目する。社会的不利は、社会の排除によって生じていると考える。個人レベルではなく社会が克服すべき問題としてとらえる。

この背景には、障害が社会のあり方に規定されているという認識がある。

まとめ主が階段と梯子を例に出していたが、もしも、世の中の高低差がすべてはしごの設置によって解消される社会であれば、ちょっと握力がない程度の人も『障害者』になるだろう。
また、現在は脳機能の障害からくる『識字障害』の人々もいるが、文字の読める人が少なかった時代ならば、障害として問題にならなかったであろう。
逆に私はど近眼なのだが、適切なメガネが容易に手に入る時代に暮らしているため、近眼は機能障害とみなされることがない。
障害者数の統計を取れば国によって割合がまちまちなのだがが、このことも、障害の概念が社会によって異なることを示している。

すなわち、障害者と健常者の境界線は恣意的なものであり、特定の人々に有利に作られた社会システムにおいて、そこから排除されてしまう人々がいるならばその人々の権利を保障するためにどういう配慮をすべきなのか、というのが障害の社会モデルの根底にある。

まとめ主が「障害者は支援に感謝するべき?健常者は支援されていることに気付いてない?」というタイトルに込めたのはまさしく障害の社会モデルに基づく視点の提供であろう。

現代においては、交通・通信・都市機能など社会システムは複雑さを増しており、それらの利便性を享受する人とできない人の格差は拡大傾向にある。
その一方で、大多数の人が不自由しなければ、格差は放置されたままであるという現状がある(というか、格差があることすら気がつかない)。
そこで、社会のルールとして何が差別に当たるのかを明らかにしみんなで共有しよう、というのが差別禁止法制定など法制化を求めてきた目的である。

◆◆ なぜ共感やマナーだけではいけないのか ◆◆

私はメガネを常用しているが、それを理由に入店を断られたことはない。
しかし、盲導犬を連れている人が入店を拒否されたという例は枚挙にいとまない。
そこには『動物は不潔である』『犬嫌いの人もいるので商売の迷惑』『犬を同伴の入店はマナー違反』という価値観との対立がある。それに対し、人々の意識の変化を待てというのは、視覚障害者に、それまでの長い年月、1人で買い物に行くのを我慢しろと言うのに等しい。
たとえ犬が嫌いだとしても、価値観の違いを理由に差別が放置されてはならないのだ。
ちなみに、現在は「身体障害者補助犬法」が施行され、民間施設でも盲導犬の同伴を拒んではならないと定められている(努力規定)
(※蛇足になるが、ドイツなどでは犬の入店そのものがOKである地域もあり、そういう地域では盲導犬の入店は問題にならない。これも、問題が障害そのものではなく社会のあり方に規定されている一例といえよう。)

点字ブロックは、視覚障害者が社会にアクセスする上で欠かせない設備であり、場所によっては文字通り命にかかわる設備である。感謝するしないにかかわらず、環境が整えられなければ、社会へのアクセスが制限されてしまう。
それが、差別だと指摘されているのである。
したがって、個人商店にまで点字ブロックを設置することを求める人はいない。

障害者の権利条約では「障害による差別」について以下のように述べている。

障害者権利条約(Wikipediaへのリンクです)

「障害による差別」とは、障害を理由とした万人に対する、政治権、経済権、社会権、文化権、市民権の全分野にわたる、人権と基本的自由のあらゆる区別、排除、制限を、さらに障害のある人に対する合理的配慮の欠如を意味する。「合理的配慮」とは障害のある人が他の人同様の人権と基本的自由を享受できるように、物事の本質を変えてしまったり、多大な負担を強いたりしない限りにおいて、配慮や調整を行うことである。

「合理的配慮」については馴染みが薄いかもしれないが、これらの思想は、障害を権利の問題としてとらえ、これまで障害者の存在を考慮することなく作られた社会においてその格差を埋めていこうとする試みであると言えよう。
そして、これが最も誤解を生みやすい点でもあるのだが、この試みは万人の尊重される社会を目指すものであり、障害者に特権を付与するものではない。
したがって、現在作られようとしている障害者差別禁止法でも、相手に過度な負担を生じさせる場合は例外としているのである。

なお、Twitterのやりとりであげた総務省の世論調査の質問票の内容は合理的配慮の1例である。

「【回答票16】では障害のある人とない人が同じように生活するためには、例えば、車椅子が利用できるように商店やレストランの入り口のスロープやトイレを整備したり、目の不自由な人や耳の不自由な人が地域の集会や会社の会議に参加できるように、点字の資料や、手話の通訳を用意したりと、いろいろな配慮や工夫が必要になることがあります。あなたは、こうした配慮や工夫を行わないことが「障害を理由とする差別」にあたる場合があると思いますか。」


人権を、常識や共感と同レベルで語ることの危うさは、このところの生活保護をめぐる議論や発達障害者が受け入れ先のなさを理由に求刑より重い判決を受けた事件など、社会の多様性が失われつつあることと無縁ではない。
「共感」できるかどうかにこだわるのではなく、まず、その人の権利が守られているかに敏感な社会であってほしい。

【追記】まとめ主の@hijijikiki さんもこちらに常識や礼儀と基本的人権の関係についてまとめてくださいました。基本的人権と常識や共感との関係:差別禁止法や生活保護法での関連

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NHKで、障害者支援のためのツールとして紹介していたアプリ

スマートフォンを知的障害児の支援ツールとして利用する試みがいろいろ始まっているようです。
ちょっと前になってしまいますが、NHK教育の「福祉ネットワーク」で、スマートフォンを使った支援の様子が紹介されていました。

リンク: 福祉ネットワーク.

『ぼくの気持ちを伝えたい』
いま、自閉症児などが自分の意志を伝える「ツール」として、スマートフォンなどの携帯情報端末が注目されている。
(中略)
また、これまで「福祉」と関わりがなかった技術者たちも開発に参加し、ユニークなソフトが次々と生まれている。スマートフォンなどの携帯情報端末と、障害児教育のコラボレーションをお伝えする。

と、いうわけで、紹介されていたアプリを調べてみました。

「Voice4u」 AAC(補助代替コミュニケーション)アプリ(3500円)

特別支援学校での取り組みでは、カードがフォルダでまとめられることを利用して、調理実習の手順の説明に使っていました。「Voice4u」公式ブログではスケジュール管理としての利用法も載っていました。

「5分歯みがき」 歯磨きタイマー(230円)

5分のタイマーとともに磨き方を絵で解説。生徒が画面を見ながら1人で磨けるようになったそうだ。

「Lotus」 タイマー(115円)

残り時間を視覚的に表示するタイマー。とにかく画面がシンプル。

「NoiseLevel」 音量計測アプリ(115円)

音量を風船の大きさと色で視覚的に表示する。「静かに!」じゃなくて「風船が赤くならないように話してね。」という風に使うんですな。

なお、調べているときにAACアプリで、こういうのも見つけました。

「ドロップトーク」 AAC(補助代替コミュニケーション)アプリ(1500円)


番組を見た感想ですが、コミュニケーションツールとして利用するには、意思表示のための取り組みをしっかりしてきた上での活用なのかな、と。
まあ、当たり前のことでしょうが。


◆ さて、おチビの利用は… ◆

ところで、前にも書いたとおり、以前からウチではおチビに iPod touch を持たせていまして、「Voice4u」と「Lotus」は入れているんですけれど、恥ずかしながら、活用してるとはいえないですね〜。
「おチビに iPod touch を持たせてみた」

むしろ、今のところはデフォルトでついている「写真」機能を利用しています。
病院など、出かける時の行き先を写真に撮っておいて、「ここに行くよ」と見せる、という使い方をしています。
音声は入りませんが、フォトアルバムで写真をまとめられるし写真の数も少ないので、今はそれで間に合ってます。

しかし、おチビの場合、やっぱり音楽プレイヤーやゲーム機としての利用がメインですかね(^^;
ただ、こいつのおかげで本当に助かった!と思うことがあります。

それは、病院の待ち時間!
長い待ち時間を退屈させず、じっと1カ所に留めておくのが、どれほど大変だったか!

今では私が席を立つ時も、「ここでこれ(iPod)を見ていてね」と言えば、フラフラ動かず椅子で待っていてくれます。
以前は、トイレに立つこともできなかったですから、これだけでもありがたい。
また、こういう機器を使っていると、大人から「すごいね!」とほめられるので、ちょっと自慢げなんですよ(笑)

支援といっても、その子に応じていろいろな利用の仕方ができそうですね。

なお、おチビが利用しているアプリも紹介します。
まあ、ほかにもあるんですが、知育アプリを中心に。


「知育えほん」 知育アプリ(無料、課金アプリは1つにつき115円)

対象年齢1~5歳。無料版は10までの数を数える、とか、くだもの、どうぶつのなまえを当てるゲームとか。
新しい課金アプリがちょこちょこ追加されるので、子どもがうっかりダウンロードしないよう注意が必要かも。
ただ、課金アプリには迷路やあいさつ、買い物など楽しめるものが多いし、値段も良心的かな。
おチビのお気に入りです。

タッチ!うごく うたえほんLite 音楽アプリ(無料)

おなじみの童謡で手遊び動画、うごく絵本が楽しめる。対象年齢0〜6歳。
なお、ライト版は「だるまさんがころんだ」と「はと」の2曲だけだが、10曲収録のフルバージョンは450円也。
手遊び動画では、18代目うたのおねえさん、つのだりょうこさんが歌っています。

FirstWords:Japanese ひらがな・カタカナ学習(600円)

文字を並べて単語を作るゲーム。ちゃんと文字の発音と単語の発音が2つ入っているのがいい(「く・る・ま」「くるま」という風に)。ひらがなボードなどでは、文字を並べてもアクセント付きの単語の発音はわからないですからね。


おチビは、文字や数字に興味を持ち始めているので、このようなものを入れていますが、ほかにもいろいろ知育系はあるので、その子にあった使えるアプリを探してみてもいいと思います。

とは言え、補助代替コミュニケーションとか知育とかガチガチに考えなくても、普通に趣味を楽しむための道具として持たせててもいいよな〜、なんて思ってるんですがね(^^)

追記:無料アプリを使用する場合、宣伝リンクが入ってしまう場合があります。インターネット接続を避けたい場合はWi-Fi設定をオフにして子どもに渡してください。

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これこそニーメラーじゃねぇのか。

リンク: 石原知事「当たり前」…国歌斉唱「合憲」判決 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞).

都青少年健全育成条例が改正されるかどうかが問題となっていた頃、『ニーメラーの警句』とやらをよく見かけた。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。

『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』 ーウィキペディアより引用

エロだからって規制を容認していては、『表現の自由』は守れんよーってな、文脈だったかと。
戦前の言論弾圧もエログロ取り締まりから始まったということを書いていた文章も見かけた。

でもさ、

都条例改正の前から、すでに『表現の自由』はないがしろにされていたんじゃないのか。

『自由を大事にしない人の多さに驚く』ーgood2nd

この記事は、君が代訴訟の地裁判決が出た時の記事なんだが、ここにすでに次のような文章がある。

どうも、教員だから、公務員だからということで非難する人が多いという印象を受けます。見ていて嫌だなー、と思うのは、政府や都のような所から発せられる「力」に対する鈍感さ、です。自分にその「力」が向けられる可能性をまったく想定していない。まるで他人事で、「オマエらちゃんとしろ」というだけ。それがたまらなく気持ち悪いんですよね。

そして、今回の高裁判決について、やはり他人事として教員を非難している人々がいる。

こういうのを見ていると、結局、あの条例は通るべくして通ったんだな、と思うよ。

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善意を疑うものではない。それでも…

行きがかりで、他の方のブログに余計なことを書いてしまった。
憶測で書くことは避ける、というのはいつも肝に銘じているのだけど、今回ばかりは、つい、反応してしまった。

言い訳ばかりしても仕方がないので、自分自身への自戒も込めて、記載しておく。

まず、ことの発端はThe Japan Royal Academy of Homeopathyの掲示板にある親からの相談が掲載されたことによる。
それは以下の引用からもわかるとおり、真実ならば緊急性を要する事態だと思われた。

ただ、やはり毒だしのレメディ(抗生剤、全身麻酔、胸腺の毒だし)をとると、すごい好転反応がでてしまいます。わかってはいますが、ちょっと続けられないくらい、顔、特に目がはれてパンパン、足もむくみ、蛋白尿がでて、みているのが辛くて断念してしまいます。

ホメオパシー体験談紹介


そのため、多くの方が事実関係を確認出来ないまま、児相や警察への通報を行った。
結果として、警察の介入により個人が特定され、とりあえずは緊急性のないことが判明した。


◆ 私が反応してしまった部分 ◆

ご自身も児相に通報したlets_skepticさんが、ご自身のブログに反省点と懸念を述べられた。
医療ネグレクトの通報を行って考えたことーSkepticism is beautiful

この記事については、良エントリだと思う。

ところで、コメント欄に naa_san さん が以下のような書き込みをした。

2010/07/25 01:36 私も自分なりにまとめを書こうとしているのですが、なかなか進みません。
この件、ホメオパシー側の問題と、母親の問題とを分けて考える必要があると思います。
この母親は、騙されただけの善良な被害者などではありません。
「少し大袈裟に書いたほうが『体験談』に取り上げてもらえるのではないか」と実際よりも大袈裟に書いてしまった、という母親の言葉を愛媛県警は伝えてきました。
つまり、目立ちたかったわけですよ。重病の子どもを看護する母として。
子どもの点滴に汚水を混入した、代理ミュンヒハウゼン症候群の母親に近いものを感じます。
子どもの健康よりも自分の気持ちを優先する。そういう行動を取る母親です。たとえホメオパシーにはまっていなかったとしても、別の形で虐待を行っていた可能性があります。
虐待に関して、愛情があることは免責事由にはなりません。

ちょっと待て、と思った。
実際に会ったわけでもない。
伝聞から「実際よりも大袈裟に書いてしまった→目立ちたかった」というのはあまりにも飛躍だろう、と。
それは、あなたの思い込みに過ぎないだろう、と。
そして、あなたが責めている母親像は、あなたの思い込みがつくり出したものではないのか、と言いたかった。

だが、私は、認知に歪みがないかを問うのではなく、別の母親像を提示するという愚を冒した。
そのため、 naa_san さんと互いに、推定で特定の母親の状況を語るという、最も避けるべき状態を招いてしまった。
そして、結果的に、 naa_san さんの思い込みを強化してしまったとおもわれる。


◆ 想像と事実を区別すること ◆

現実の世界で児童虐待にあたるかもしれない親子を見たとき、もちろん、児童相談所などしかるべき機関に通報したほうがいい。というより、通告義務がある(平成16年児童虐待防止法改正法)
何より、子どもの安全確保が優先されなくてはいけない。

そのとき私たちの前にいるのは、実在の子どもだ。
少なくとも、親子の様子を自分の目で確かめることはできる。

だが、今回は子どもが実在かどうかわからないネットの中の話だった。
緊急性を疑われる書き込みではあった。
しかし、私たちは、自分の中で親子像を勝手に膨らませて危機感を増幅させていなかっただろうか?
(性別は不明だったにもかかわらず、「女の子」という話になっていたこともあった)

もちろん通報した方々の善意は疑うものではないし、その行動は敬服する。
私は、行動を起こしていない。

それでも、と思う。

警察が介入した現在に至っても、母親の性格を詮索し、不安を募らせる姿勢は『怖い』と感じる。

想像には限度がない。
ネットでは本当の結果が分からないが故に、母親への不信を増幅させてしまったら、それをおさめることは困難を極めるだろう。
人々の想像の中で膨らまされた「悪い母親」のイメージは、親子の幸せを願って悩み葛藤することよりも、集団で責め立てることを選ばせるだろう。

歴史は、人々の中に蔓延したステレオタイプが悲劇的な結果を招くことを、繰り返し繰り返し経験している。

Pia fraus(敬虔な虚偽)という言葉がある。敬虔なキリスト教徒は敬虔なるがゆえにイエスやマリアのイメージをますます美しく描かねばやまず、逆に悪魔やユダヤ人は額に角を生やし、尻尾を下げ、蹄の割れた怪物の姿としてますます醜く描かれねばならない。ヨーロッパの情念史はまさしく敬虔な虚偽によってつむぎ出された無数のイメージが綴るつづれ織りといってもよかろう。『千年王国の追求』 P408

想像と事実を区別すること、それしか、悲劇を防ぐ手立てはない。
まずは、想像を根拠に非難をしないこと。自戒である。

千年王国の追求千年王国の追求


著者:ノーマン コーン

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魔女狩りの社会史―ヨーロッパの内なる悪霊 (岩波モダンクラシックス)魔女狩りの社会史―ヨーロッパの内なる悪霊 (岩波モダンクラシックス)


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インフルエンザにつらつらと思うこと・2

沖縄で、子ども達がマスクをして登校している姿がTV報道されていた。
すでに外しちゃって手に持っている子もいて、暑いのに大変だよなぁ、と思う。
子どもに四六時中マスクをつけさせるのは、至難のことだろう。
マスクの扱いだって適切には出来まい。
マスクを手でくちゃくちゃ触ってたら、それが菌のついた手だったりしたら無意味だ。

むしろ、ティッシュを持たせて、咳やくしゃみが出るときに口をおおう(そのティッシュは蓋付きのゴミ箱に捨てさせる)方がいいんじゃないか、とも思う。
手指のアルコール消毒薬も利用しながらね。

これから秋にかけて学校行事も多い中で、いろいろ支障が出てくるだろうなぁ。
なるべく、子ども達に負担のかからないやり方で乗り切って欲しいと思う。



先日の記事には
『ハイリスク層は重症化するから気をつけろ』ってアナウンスは、実際のハイリスク者にとって情報の価値がゼロなんだよね。だって、当たり前のことだもん。

なんていちゃもんつけたわけだが、普段健康な人に対しては、『あなたは軽症で済むかもしれないが、インフルエンザにかかると重症化するリスクの高い人がいる』という情報になるわけで、価値はもちろんある。

で、こういう情報を出すことで「重症化防止に焦点を置いて対策を進めないといけない」(19日、厚労省 中嶋建介・感染症情報管理室長)という話に国民の同意を取り付け、ハイリスク群への対策実施ということになると思っていたのだが、どうも、ワクチン接種の優先順位に関する報道を見ていると、「感染拡大防止」とごっちゃになっている気がしてならない。

もちろん、感染拡大を防ぐことは重要だけれど、限られたワクチンで何が出来るかを考えて欲しい。

新型インフルエンザA(H1N1)は、幸いにも、それほど毒性の強いものではない。
健康な大人がかかった場合は抗インフルエンザ薬の投与も必要ないという(WHOガイドラインなど)。
感染に怯えるのでなく、また、感染しても慌てず、冷静に行動してほしいと思う。

そして、風邪症状が出たときは、軽症でも他の人にうつさないよう外出を控えてゆっくり休んでほしい。
本人の為であると同時に、ハイリスク者への感染を防ぐことにもなるから。

新型インフルエンザでなかったとしても、季節性インフルエンザや風邪もハイリスク者にとっては充分怖いのです。

春の騒動のときに新型インフルエンザに不安を感じていた人は、ちょっと想像してみてほしい。
ハイリスク者を抱える家族は、毎年毎年、その不安を抱えて一冬過ごすのですよ。
それが、今年は1年中続くのですよ。

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新型インフルエンザ報道につらつらと思うことなど

リンク: 新型インフル、「本格的な流行が始まった」—舛添厚労相 -医療介護CBニュース-.

新型インフルエンザの本格的流行が始まったとかで、やっとワクチン接種の優先順位、なんてぇ話になっています。

5月の時も思ったんですけれど、厚労省の(つうか、記者会見での)情報の出し方は、わざわざパニックを煽る為に出しているんじゃないかって思っちまうくらい、下手ですね〜。
患者の定点医療機関当たりの報告数なんてずっとやっているのに、死者が出てから「第1波の本格的な流行が、既に始まっていたと考えていいと思う」なんて発表をして、さらにその後でワクチン接種の優先順位を検討する為の専門家の検討委員会って、どんだけ泥縄なんだよって感じ。
だいたい、ワクチン数の不足は5月の段階で予想がついていたろうに。
WHOが6月にはパンデミック宣言を出していたろうに。



それにしても、これも5月から思っていたんだけれど、で、未だにそうなんだけれど
慢性呼吸器疾患や慢性心疾患などの基礎疾患を有する人、妊婦、乳幼児を「重症化するリスクが高いとされている」とした上で、早期受診、早期治療を心掛けるよう求めた。

って報道ね。
この『ハイリスク層は重症化するから気をつけろ』ってアナウンスは、実際のハイリスク者にとって情報の価値がゼロなんだよね。
だって、当たり前のことだもん。

早期受診、早期治療を推奨するのは、新型インフルエンザウィルスにタミフルやリレンザなどの抗ウィルス薬が有効だからでしょう。だから早期受診なんでしょう。そういうことをアナウンスしなきゃ。

つうか、ね。

ハイリスク者にとっては、季節性インフルエンザだって、RSウィルスだって、マイコプラズマだって、肺炎球菌だって、かかりゃあ重症化するリスクがある。

だから、「リスクがある」なんて漠然と言われても、不安を煽られるだけで他の感染症と比べてハイリスク者にどの程度のリスクがあるのかが判断できないんだよね。
一方で弱毒性との情報もあるわけで、じゃあ、どの程度の警戒レベルで行動すればいいのかってことが余計見えにくい。

実際、ウチも季節性インフルエンザの流行する冬は外出を控えるけれど、その警戒レベルで1年中過ごすのは不可能だよ。赤ちゃんの時ならともかく、1年中家に閉じ込めていたら発達に支障が出るよ。

現状が冬期の流行期に比較してどの程度の事態なのかだけでも、(未確定の要素が多いとはいえ)あれば判断材料になるんだけれど。
『流行期』に入ったと漫然と言われてもね〜。
やっと、ここへ来て『インフルエンザ患者の定点医療機関当たりの報告数』というのが出てきたけれど、それでも、報道だけではその数値にどれほどの意味があるのかが見えにくい。

で、国立感染症研究所感染症情報センターのサイトに行ってみたら、『インフルエンザ流行レベルマップ』なんていうものがある。
https://hasseidoko.mhlw.go.jp/Hasseidoko/Levelmap/flu/guide.html
で、見たら視覚的にわかりやすく流行レベルが把握できるようになっている。
同時に、今シーズンの動きや過去シーズンの動きも公開されているので、それらを比較することも出来る。

なんだよ。こういうのを出してくれよ。

最新のマップ/2009年 第33週 (8月10日〜8月16日) 2009年8月19日現在
第33週は1.69(患者報告数7,750)となり、季節性インフルエンザの全国的な流行開始の指標値(1.00)を上回った。

感覚的で申し訳ないが、季節性インフルエンザであれば「そろそろ予防接種を打たなきゃ」と動き出すレベルって感じかな。
もちろん現状ではワクチンはないのだから、親が手洗い・うがいを徹底するしかないのだけどな。
夏休みが終わったらどう状況が変わるかも、注意が必要かな。

あと、季節性インフルエンザワクチンの情報も欲しいよなぁ。



それにしても、大臣の「国民全体の慢心も、感染の拡大につながっている」ってどういう言い草だろうね。
手洗い・うがいだけで、パンデミックが防げるわけなかろうに。
今頃ワクチンの検討委員会なんてやってる方がよっぽど慢心じゃないのかね。

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iPhoneと自閉症の支援

お久しぶりです。
こんな無精なブログにも関わらず、インフルエンザ騒動のおり、おチビの健康を心配して下さる方もいらっしゃり大変感謝しております。
おチビも大変元気です。

で、新型インフルエンザについて、思うことなどを書こうと思ったのですが、その前にちょっと面白い記事を見つけたので簡単にご紹介をば。

リンク: iPhoneとiPodTouchが自閉症の子供を助ける!|世界メディア・ニュース.

この記事だけだと概要がよく分からないのですが、元記事の「USATODAY.com」をみると、あらかじめ基本的なコメントや質問をアイコンにしておいて、それをタッチすることで音声出力しコミュニケーションの介助をするアプリケーションを作成した、ということらしいです。

http://www.usatoday.com/printedition/life/20090528/iphoneautism28_st.art.htm

いや〜、これは面白いなぁ。
自閉症などの発達障害児は、耳からの情報よりも視覚からの情報を取り入れる方が容易、っていうのはもう親にとっては常識で、身振りのサインや絵カードの利用なんてのが勧められたりするのだけれども、やはりカードはかさ張るからね〜。
おチビも、トイレや学園での教室移動は写真で見せた方が理解しやすかったりしています。

元記事にあるように、iPod touchを腕につけておいて必要なときにタッチスクリーンに触れて必要なアイコンを探し提示する、というのは言語遅滞の子ども達に取って画期的な支援方法だと思うんですよ。
何より、提示できるアイコン数がカードとは比べ物にならないくらい増やせるでしょう。
それは、語彙が増えるのに等しいんですよ。

以前、携帯電話が普及したときに聴覚障害の方が、「メールで初めて遠隔の人とコミュミケートが可能になった」と話しておられたのを見て「なるほど」と思ったもんですが、発達障害や知的障害においても新しい技術の利用で支援ができる部分はまだあるのではないかと思わせられるニュースでした。


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数値をあげればいいってもんじゃないだろうの見本

リンク: asahi.com(朝日新聞社):こんにゃくゼリー、また幼児死亡 対策取られず17人目 - 社会.

こちらの記事を受けてGIGAZINEがあげた記事が、あまりにもダメダメ。
「こんにゃく入りゼリー」よりものどに詰まって死亡した件数が多い危険な食べ物ベスト10ーGIGAZINE

「厚生労働省:食品による窒息事故に関する研究結果等について」から、「『こんにゃく入りゼリー』よりものどに詰まって死亡した件数が多い危険な食べ物ベスト10」を出したっていうんだけど、自分で追記に書いているとおり「死亡」件数と「死亡+傷病」件数を比較している上に、「カップ入りゼリー」が「こんにゃく入りゼリー」を示していることも読めなかったわけだ

9位:カップ入りゼリー(11例、「こんにゃく入りゼリー」の5.5倍危険)

2008/10/01 15:40追記
非常にわかりにくいのですが、参考にしたレポート中において明示されてはいないものの、文脈から考えて「カップ入りゼリー」というのが「こんにゃく入りゼリー」を示しているようです。また、件数についても死亡事故と傷病程度の事故などを合計して「窒息事故」として記載されているようです。

追記では非常にわかりにくいと書いているが、そもそもこの調査は「ミニカップタイプのこんにゃく入りゼリー」による事故が社会問題になったことを受けて基礎的データを収集するために行われたことが、研究目的に明記されているんですが。データ中の項目として略すことを考えないのかな。

さらに、他の食品の危険度を高く見せようとしたのか、それとも、内容をよく読んでいないのか、消防本部からの回答(これは救急搬送の数ですね)と救命救急センターからの回答(三次救急医療機関に来た患者の数ですね)を合算しちゃってるのですよ(重複している可能性を考えない!)

こんな水増しした数値と比較される「こんにゃく入りゼリー」の死亡者数が、国民生活センターに報告された死亡件数では、アンフェアとしか言いようがない。

つうか、追記をあげた時点で、記事が全く意味のないものであることは明確なのに、なんで掲載を続けるかね。
ネタだからいいと思っているのかなぁ。

しかし、すでに、このリストがあちこちのブログで肯定的に取り上げられ一人歩きをしているんだな。

どんなにいい加減な処理でも、数値になるとそれらしく見えるんだろうか。

なお、元の資料「厚生労働省:食品による窒息事故に関する研究結果等について」は、デタラメではないので、念のため。

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