障害

感謝と支援

Twitterでやり取りしたことなのだが、私のネット環境がPCのみで時間的制約がある上に、やりとりに慣れていないこともあって、こっちにまとめることにした。

なお、やり取りは一部、下記にまとめられている。
リンク: 障害者は支援に感謝するべき?健常者は支援されていることに気付いてない? - Togetter.

この一連のやり取りで、『障害の社会モデル』という概念が一般には広がっていないことをあらためて痛感する。それがすれ違いの一因となっていることは間違いないだろう。
もちろん、私の書き方が未熟であることも認めるが。
点字ブロックの設置が「電車で席を譲る」というマナーと同レベルの価値とみなされ、点字ブロックの設置に感謝を感じないのかという感想は、残念ながらまだ多くの人が感じるものであろう。背景には、障害が個人レベルの問題としてしかとらえられず、障害者への施策が障害者の権利を補償するためのものとしてより、社会の余剰として行われるもの「善意でしてあげるもの」という意識がどこかにあるのではないだろうか。
なお、私が権利は恩恵ではないと書いたのはこの点をふまえている。

◆◆ 障害者とはなにか?ー障害概念の変化ー ◆◆

先ほどから『障害の社会モデル』と何度も書いているが、それに対応する概念が『障害の医療モデル』である。

『障害の医療モデル』は障害を個人の機能、能力の欠如とみなすものであって、個人特有の問題、個人が克服すべき問題と考える。そのため、他の人々と違う扱いを受けてもそれは機能障害や能力障害の結果であって、社会の差別とは把握されない。
これが、障害に対する古くからの認識であり、今でも一般的な見方ではある。

これに対して、1980年代頃から、障害に対する新しい概念が生まれている。それが『障害の社会モデル』である。この辺の歴史は私の力量ではカバーしきれないので割愛するが、2006年に採択された障害者の権利条約でもこのモデルが採用されている。

『障害の社会モデル』は障害を「社会との関係性」に着目する。社会的不利は、社会の排除によって生じていると考える。個人レベルではなく社会が克服すべき問題としてとらえる。

この背景には、障害が社会のあり方に規定されているという認識がある。

まとめ主が階段と梯子を例に出していたが、もしも、世の中の高低差がすべてはしごの設置によって解消される社会であれば、ちょっと握力がない程度の人も『障害者』になるだろう。
また、現在は脳機能の障害からくる『識字障害』の人々もいるが、文字の読める人が少なかった時代ならば、障害として問題にならなかったであろう。
逆に私はど近眼なのだが、適切なメガネが容易に手に入る時代に暮らしているため、近眼は機能障害とみなされることがない。
障害者数の統計を取れば国によって割合がまちまちなのだがが、このことも、障害の概念が社会によって異なることを示している。

すなわち、障害者と健常者の境界線は恣意的なものであり、特定の人々に有利に作られた社会システムにおいて、そこから排除されてしまう人々がいるならばその人々の権利を保障するためにどういう配慮をすべきなのか、というのが障害の社会モデルの根底にある。

まとめ主が「障害者は支援に感謝するべき?健常者は支援されていることに気付いてない?」というタイトルに込めたのはまさしく障害の社会モデルに基づく視点の提供であろう。

現代においては、交通・通信・都市機能など社会システムは複雑さを増しており、それらの利便性を享受する人とできない人の格差は拡大傾向にある。
その一方で、大多数の人が不自由しなければ、格差は放置されたままであるという現状がある(というか、格差があることすら気がつかない)。
そこで、社会のルールとして何が差別に当たるのかを明らかにしみんなで共有しよう、というのが差別禁止法制定など法制化を求めてきた目的である。

◆◆ なぜ共感やマナーだけではいけないのか ◆◆

私はメガネを常用しているが、それを理由に入店を断られたことはない。
しかし、盲導犬を連れている人が入店を拒否されたという例は枚挙にいとまない。
そこには『動物は不潔である』『犬嫌いの人もいるので商売の迷惑』『犬を同伴の入店はマナー違反』という価値観との対立がある。それに対し、人々の意識の変化を待てというのは、視覚障害者に、それまでの長い年月、1人で買い物に行くのを我慢しろと言うのに等しい。
たとえ犬が嫌いだとしても、価値観の違いを理由に差別が放置されてはならないのだ。
ちなみに、現在は「身体障害者補助犬法」が施行され、民間施設でも盲導犬の同伴を拒んではならないと定められている(努力規定)
(※蛇足になるが、ドイツなどでは犬の入店そのものがOKである地域もあり、そういう地域では盲導犬の入店は問題にならない。これも、問題が障害そのものではなく社会のあり方に規定されている一例といえよう。)

点字ブロックは、視覚障害者が社会にアクセスする上で欠かせない設備であり、場所によっては文字通り命にかかわる設備である。感謝するしないにかかわらず、環境が整えられなければ、社会へのアクセスが制限されてしまう。
それが、差別だと指摘されているのである。
したがって、個人商店にまで点字ブロックを設置することを求める人はいない。

障害者の権利条約では「障害による差別」について以下のように述べている。

障害者権利条約(Wikipediaへのリンクです)

「障害による差別」とは、障害を理由とした万人に対する、政治権、経済権、社会権、文化権、市民権の全分野にわたる、人権と基本的自由のあらゆる区別、排除、制限を、さらに障害のある人に対する合理的配慮の欠如を意味する。「合理的配慮」とは障害のある人が他の人同様の人権と基本的自由を享受できるように、物事の本質を変えてしまったり、多大な負担を強いたりしない限りにおいて、配慮や調整を行うことである。

「合理的配慮」については馴染みが薄いかもしれないが、これらの思想は、障害を権利の問題としてとらえ、これまで障害者の存在を考慮することなく作られた社会においてその格差を埋めていこうとする試みであると言えよう。
そして、これが最も誤解を生みやすい点でもあるのだが、この試みは万人の尊重される社会を目指すものであり、障害者に特権を付与するものではない。
したがって、現在作られようとしている障害者差別禁止法でも、相手に過度な負担を生じさせる場合は例外としているのである。

なお、Twitterのやりとりであげた総務省の世論調査の質問票の内容は合理的配慮の1例である。

「【回答票16】では障害のある人とない人が同じように生活するためには、例えば、車椅子が利用できるように商店やレストランの入り口のスロープやトイレを整備したり、目の不自由な人や耳の不自由な人が地域の集会や会社の会議に参加できるように、点字の資料や、手話の通訳を用意したりと、いろいろな配慮や工夫が必要になることがあります。あなたは、こうした配慮や工夫を行わないことが「障害を理由とする差別」にあたる場合があると思いますか。」


人権を、常識や共感と同レベルで語ることの危うさは、このところの生活保護をめぐる議論や発達障害者が受け入れ先のなさを理由に求刑より重い判決を受けた事件など、社会の多様性が失われつつあることと無縁ではない。
「共感」できるかどうかにこだわるのではなく、まず、その人の権利が守られているかに敏感な社会であってほしい。

【追記】まとめ主の@hijijikiki さんもこちらに常識や礼儀と基本的人権の関係についてまとめてくださいました。基本的人権と常識や共感との関係:差別禁止法や生活保護法での関連

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NHKで、障害者支援のためのツールとして紹介していたアプリ

スマートフォンを知的障害児の支援ツールとして利用する試みがいろいろ始まっているようです。
ちょっと前になってしまいますが、NHK教育の「福祉ネットワーク」で、スマートフォンを使った支援の様子が紹介されていました。

リンク: 福祉ネットワーク.

『ぼくの気持ちを伝えたい』
いま、自閉症児などが自分の意志を伝える「ツール」として、スマートフォンなどの携帯情報端末が注目されている。
(中略)
また、これまで「福祉」と関わりがなかった技術者たちも開発に参加し、ユニークなソフトが次々と生まれている。スマートフォンなどの携帯情報端末と、障害児教育のコラボレーションをお伝えする。

と、いうわけで、紹介されていたアプリを調べてみました。

「Voice4u」 AAC(補助代替コミュニケーション)アプリ(3500円)

特別支援学校での取り組みでは、カードがフォルダでまとめられることを利用して、調理実習の手順の説明に使っていました。「Voice4u」公式ブログではスケジュール管理としての利用法も載っていました。

「5分歯みがき」 歯磨きタイマー(230円)

5分のタイマーとともに磨き方を絵で解説。生徒が画面を見ながら1人で磨けるようになったそうだ。

「Lotus」 タイマー(115円)

残り時間を視覚的に表示するタイマー。とにかく画面がシンプル。

「NoiseLevel」 音量計測アプリ(115円)

音量を風船の大きさと色で視覚的に表示する。「静かに!」じゃなくて「風船が赤くならないように話してね。」という風に使うんですな。

なお、調べているときにAACアプリで、こういうのも見つけました。

「ドロップトーク」 AAC(補助代替コミュニケーション)アプリ(1500円)


番組を見た感想ですが、コミュニケーションツールとして利用するには、意思表示のための取り組みをしっかりしてきた上での活用なのかな、と。
まあ、当たり前のことでしょうが。


◆ さて、おチビの利用は… ◆

ところで、前にも書いたとおり、以前からウチではおチビに iPod touch を持たせていまして、「Voice4u」と「Lotus」は入れているんですけれど、恥ずかしながら、活用してるとはいえないですね〜。
「おチビに iPod touch を持たせてみた」

むしろ、今のところはデフォルトでついている「写真」機能を利用しています。
病院など、出かける時の行き先を写真に撮っておいて、「ここに行くよ」と見せる、という使い方をしています。
音声は入りませんが、フォトアルバムで写真をまとめられるし写真の数も少ないので、今はそれで間に合ってます。

しかし、おチビの場合、やっぱり音楽プレイヤーやゲーム機としての利用がメインですかね(^^;
ただ、こいつのおかげで本当に助かった!と思うことがあります。

それは、病院の待ち時間!
長い待ち時間を退屈させず、じっと1カ所に留めておくのが、どれほど大変だったか!

今では私が席を立つ時も、「ここでこれ(iPod)を見ていてね」と言えば、フラフラ動かず椅子で待っていてくれます。
以前は、トイレに立つこともできなかったですから、これだけでもありがたい。
また、こういう機器を使っていると、大人から「すごいね!」とほめられるので、ちょっと自慢げなんですよ(笑)

支援といっても、その子に応じていろいろな利用の仕方ができそうですね。

なお、おチビが利用しているアプリも紹介します。
まあ、ほかにもあるんですが、知育アプリを中心に。


「知育えほん」 知育アプリ(無料、課金アプリは1つにつき115円)

対象年齢1~5歳。無料版は10までの数を数える、とか、くだもの、どうぶつのなまえを当てるゲームとか。
新しい課金アプリがちょこちょこ追加されるので、子どもがうっかりダウンロードしないよう注意が必要かも。
ただ、課金アプリには迷路やあいさつ、買い物など楽しめるものが多いし、値段も良心的かな。
おチビのお気に入りです。

タッチ!うごく うたえほんLite 音楽アプリ(無料)

おなじみの童謡で手遊び動画、うごく絵本が楽しめる。対象年齢0〜6歳。
なお、ライト版は「だるまさんがころんだ」と「はと」の2曲だけだが、10曲収録のフルバージョンは450円也。
手遊び動画では、18代目うたのおねえさん、つのだりょうこさんが歌っています。

FirstWords:Japanese ひらがな・カタカナ学習(600円)

文字を並べて単語を作るゲーム。ちゃんと文字の発音と単語の発音が2つ入っているのがいい(「く・る・ま」「くるま」という風に)。ひらがなボードなどでは、文字を並べてもアクセント付きの単語の発音はわからないですからね。


おチビは、文字や数字に興味を持ち始めているので、このようなものを入れていますが、ほかにもいろいろ知育系はあるので、その子にあった使えるアプリを探してみてもいいと思います。

とは言え、補助代替コミュニケーションとか知育とかガチガチに考えなくても、普通に趣味を楽しむための道具として持たせててもいいよな〜、なんて思ってるんですがね(^^)

追記:無料アプリを使用する場合、宣伝リンクが入ってしまう場合があります。インターネット接続を避けたい場合はWi-Fi設定をオフにして子どもに渡してください。

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おチビに iPod touch を持たせてみた。

いろいろ、書いておきたいことはあるのだけど、なかなか気力が…。
とりあえず、1年前に書いた記事、「iPhoneと自閉症の支援」のフォローをば。

自閉症の人のコミュニケーション介助ツールとしてiPod touchのアプリがアメリカで開発されたという記事を紹介したのですが、現在、日本語では「Voice4u」というアプリが販売されています。

「Voice4u」公式サイト

時事ドットコムで紹介された記事はこちら。
リンク: 時事ドットコム:自閉症向け会話ソフトが人気=実体験踏まえ日本人主婦が開発−米(2010/04/04).

で、購入してみました。

メリットとしては、かさ張らず携帯が便利、カードの追加やカスタマイズが楽ちん、何よりiPod自体ののインターフェースが視覚的にわかりやすいので、かなり重度の子でも使えるのでは、と感じました。

デメリットとしては、電池、かな…。
他に遊べるアプリを入れていると、そっちで遊び倒して肝心な会話のときに電池がないってことになりそう。
(おチビはしょっちゅう充電が必要になっています。)
迷子になったときに助けを求める、などという事態では、このデメリットは非常に大きいといえます。

さてさて、おチビと「Voice4u」ですが、実際に触らせてみました。

ただ、おチビは、絵カード自体まだ「トイレ」と「おちゃ」しか使っていないのでね。
いきなり150個ものアイコンを使いこなすことはありえないわけでして。
と、いうわけでコミュニケーションツールとして使うことはまだ期待していません。

むしろ、音声が出るのは面白いようなので言葉を覚える手段の一つになるかな、と。
おチビは音声の後に自分でまねして発声していますし(不明瞭だけど)。
絵を見て音声と概念がつながるといいな、と思っています。

100415_153401ところで、おチビには iPod touchの一番安いの(8GB)を持たせています。

そのまま持たせるとスクリーンまで握り込んでしまうので、白いソフトレザーケースをつけて持つところをはっきりさせました。
ストラップはデジカメのを流用。首からぶら下げられるようにしています。

写真のとおり最初のホーム画面におチビが使うアイコンを残して、あとは別のホーム画面にまとめました。
アイコンは「写真」と「ビデオ」と「ミュージック」、それに「Voice4u」とタイマー2種(「Lotus」「Time Signal」)
今は、これに「知育えほん」という幼児向けアプリも入れています。
「ミュージック」と「ビデオ」には「おかあさんといっしょ」、「いないいないばあ」や「アンパンマン」などのの曲を片っ端から入れました(笑)

なお、おチビにはiPodの使い方をほとんど教えていなかったんですが、自分でいじりまくって覚えてしまいました。
例えば音楽を聴くとき、iPod touchを横向きにしてアルバムアートを指先でめくってアルバムを選択、立て向きにして曲名リストを表示。リストは読めないのですが、タップしてイントロを聴き、聴きたい曲を選び出す、というやり方を自分で見つけ出していました。
最近ではランダム再生や繰り返し再生も覚えて、気分で選んでいるようです。

Wiiですらコントローラーと画面の関係が今ひとつ認識しずらいようで上手く操作出来なかったおチビが、これだけ使いこなすとは思っていませんでした。
スクリーンで直接操作する、というのがとにかくわかりやすいようです。
感覚的に操作出来るiPod touchは、知的障害児にとって結構便利なツールになるような気がします。
タイマーとか予定表とか、工夫すれば便利なアプリができそうですよ。
どこかか作ってくれないかな〜。

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iPhoneと自閉症の支援

お久しぶりです。
こんな無精なブログにも関わらず、インフルエンザ騒動のおり、おチビの健康を心配して下さる方もいらっしゃり大変感謝しております。
おチビも大変元気です。

で、新型インフルエンザについて、思うことなどを書こうと思ったのですが、その前にちょっと面白い記事を見つけたので簡単にご紹介をば。

リンク: iPhoneとiPodTouchが自閉症の子供を助ける!|世界メディア・ニュース.

この記事だけだと概要がよく分からないのですが、元記事の「USATODAY.com」をみると、あらかじめ基本的なコメントや質問をアイコンにしておいて、それをタッチすることで音声出力しコミュニケーションの介助をするアプリケーションを作成した、ということらしいです。

http://www.usatoday.com/printedition/life/20090528/iphoneautism28_st.art.htm

いや〜、これは面白いなぁ。
自閉症などの発達障害児は、耳からの情報よりも視覚からの情報を取り入れる方が容易、っていうのはもう親にとっては常識で、身振りのサインや絵カードの利用なんてのが勧められたりするのだけれども、やはりカードはかさ張るからね〜。
おチビも、トイレや学園での教室移動は写真で見せた方が理解しやすかったりしています。

元記事にあるように、iPod touchを腕につけておいて必要なときにタッチスクリーンに触れて必要なアイコンを探し提示する、というのは言語遅滞の子ども達に取って画期的な支援方法だと思うんですよ。
何より、提示できるアイコン数がカードとは比べ物にならないくらい増やせるでしょう。
それは、語彙が増えるのに等しいんですよ。

以前、携帯電話が普及したときに聴覚障害の方が、「メールで初めて遠隔の人とコミュミケートが可能になった」と話しておられたのを見て「なるほど」と思ったもんですが、発達障害や知的障害においても新しい技術の利用で支援ができる部分はまだあるのではないかと思わせられるニュースでした。


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「水からの伝言」

「kikulog」経由で次の記事を見つけた。

『ほたるいかの書きつけ』より
http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10139358661.html

関東地区公立小・中学校女性校長会の総会で『水からの伝言』の著者である江本勝氏の講演が行われたとのこと。
詳細は『ほたるいかの書きつけ』さんの記事をご覧いただくとして、次の箇所は、あまりにもひどい。
 

先生が用意した妊婦さんの羊水をホメオパシー溶液の倍率である5万倍に薄めた水の結晶を撮影しました。
 羊水の結晶です(写真1)。この羊水に韓国語で「堕胎」という言葉を見せて撮影すると(写真2)、何か文字のようなものが現れました。
 羊水に子どもの写真を見せたら、とってもいい結晶になりました(写真3)。

 (略)相変わらずの安易な実験デザインと解釈であるが、特に羊水を使うということには怒りを禁じえない。「何か文字のようなもの」と言っているが、子どもの写真を見せたらとってもいい結晶になったということと対比させていることからして、「堕胎」は悪である、と暗に言っているといっても差支えないであろう。文脈から切断された単語に善悪を付与するという安易な発想がここでも如何なく発揮されてしまっている。

この実験が許しがたいのは、『堕胎』という、非常に多角的な考察を必要とする、それゆえ認めるにせよ否定するにせよ合意の得にくい問題に対して、マルかバツかという単純思考に落とし込もうとする、その安直さにおいて、である。
結晶の出来不出来を道徳の根拠にするのなら(あまりにもバカバカしい根拠だが)、必然的に二者択一的な価値観しか持ち得ない。

また、実験にただの水でなく羊水を使用したという点に、私は強い懸念を覚える。
「羊水」という言葉に含まれるイメージが「母」や「出産」など、女性の性と生殖に関わるものであることはいうまでもないだろう。また、障害や血縁などマイノリティに関わる側面もあるだろう。
実験者がこれらの問題に無自覚あるいはイノセントであるとは、とても思えない。
おそらく、意図的に羊水を使用しているはずだ。

『羊水』の『結晶』という図像の提示は、羊水と言う単語が持つ母性へのイメージと、結晶と言う単語が持つ聖のイメージを結びつけるものであり、まさに母性の聖化を視覚的イメージに転換する作業に他ならない。

視覚的イメージが与える影響はなかなか馬鹿に出来ないもんで。
『水伝』が批判されてもしぶとく息を吹き返すのは、論理的思考の欠如だけでなく、あの結晶の写真が与える視覚的インパクトによるところが大きいと思う。

つまり、『羊水の結晶』という『図像』が美しければ美しいほど、性や生殖の問題について一方的な価値観を植えつける役割を担うことになるだろう。

あ、念のため書いておくが、5万倍に薄めた羊水なんて、ただの水だ。
この記述だけでも、『羊水の結晶』なんてぇシロモノがちゃんちゃらおかしいってことだ。


なお、『水伝』の問題点については、すでに多くのサイトで述べられているのでここでは繰り返さない。
特に、次のサイトは良くまとめられているので、興味のある方は参照して下さい。

学習院大学の田崎晴明教授による『水伝』反証サイト
「水からの伝言」を信じないでください

「PSJ渋谷研究所Xさん」作成の「水伝FAQ」
『水からの伝言』の基礎知識

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(3)

前回に引き続き、といってもずいぶんと間が空いてしまったんですが…、「クリスタルチルドレン」という概念が自閉症に対する理解を妨げることについて、もう少し述べていきたいと思います。

実は、これについて興味深いブログのエントリを見つけました。
http://blog.goo.ne.jp/manaworld/e/0070bcdab0e6db3ae00005c405c84940

こちらの方は自閉症のお子様がいらっしゃいます。
精神世界には親しんでいらっしゃるが、クリスタルチルドレンには批判的な見解をお持ちのようです。
しかし、方便としての有用性をあげているんですね。

ジェームス・トワイマンのコンサートで、彼が言っていました。「今の人は、ラベルに弱い。クリスタルチルドレンや、インディゴチルドレンとラベルをつける事で、受け入れてくれる人が増えている。個人的には、子供にラベルをつけるのは嫌いだけど、今、しばらくの間、ちょっとの間、ラベルは必要なんです」

一言、今の時代は、そういう人が大半の、そういう社会だってことです。

物質至上主義の社会、特有の対処法だなぁ。。。と思いました。

つまり、『発達障害』と言ったら世間は受け入れないが、『クリスタルチルドレン』と言えば温かく受け入れてくれるということでしょう。
ウソも方便ってヤツでしょうか。

しかし、これについては残念ながら疑問を抱かざるを得ません。

「クリスタルチルドレン」を信奉する人の目的は自分自身の癒しであって、『発達障害』に対する理解ではありません。彼らの望むものはあくまでも自分の理想を投影できる『クリスタルチルドレン』であって、実際に子どもが「発達障害」かどうかはそもそも関心の外なのです(親以外は)。

ですから、彼らは自閉症児を『クリスタルチルドレン』と言い替えてしまえばそれで満足なのであり、実際の自閉症について理解を深める方向へのモチベーションは生じないと思います。
したがって、バーチューの『クリスタルチルドレン」についての説明が実際の自閉症児の特徴とあまりに乖離しているにもかかわらず、信奉する人々はそのことに疑問を覚えることもないですし、またその必要性も感じていません。

ましてや、重度の自閉症児のことなど、始めから彼らの眼中に入っていません。仮にその存在を目にしたとしても「あの子はクリスタルチルドレンではない」と思うだけでしょう。

実際、バーチューのサイトには親御さんのコメントとして「本物の自閉症とは違う」という表現もあります。

私の目から見ると、本物の自閉症とは違う印象なのです(単に軽症ということかもしれませんが)。
ttp://www.jma-inc.jp/blog/user/doreen/taiken/465.html#comments

また、ブログでこんなエントリも見つけています。引用先は示しませんが。

「(前略)T君はクリスタルチルドレンで自閉症ではありません。T君に病院は必要ないです。
とても、純粋で大きな優しさと愛情を持って生まれてきている子ですよ。お父さんとお母さんを守る為に来たと伝えてほしいと言われました」と話した。(強調は引用者による)

このように、『クリスタルチルドレン』という概念が広がったからといって、実際の自閉症児やその家族への態度が温かくなる保証はまったくありません。
むしろ、実態を指摘することは、彼らの「心地よさ」を否定するものとして排斥される可能性が高い。

以下の引用も、クリスタルチルドレンに言及していたブログから拾ったものです。同じく引用先は伏せます。

発達障害とか言われる事が多くあるそうですが、それって誰の基準?っていつも思うのです。 大人たちも余裕がないから、なんとか病気にさせたいのでしょうか? そして納得させたら気が済むと思ってるのでしょうか?
まず、「概念」が極端に違う為、親御さんの理解が無いと、普通におかしい子になってしまします 多動とか、AD/HDとか言われるお子さんのほぼ6割から7割にかけてが、薬物で処理されようとしています この子達は、潰される為に生まれてきた訳ではありません 未来へ花開く為に生まれてきています(強調は引用者による)
最近は本当にいろいろな枠を作って、そこからはみ出している子供達を他の枠にはめたがるようです 少しでも勉強についていけなかったりすると、それだけで言語障害や発達障害というように「普通ではない」と決め付けられて・・・

これら、『発達障害』に対するネガティブな表現の数々は、書き手が元々障害に対して持っていた偏見を図らずも露呈させてしまった結果とも言えるのですけれど、やはり、理想の投影対象である『クリスタルチルドレン』との対比からくるものとして考えるべきだと思います。

つまり、『クリスタルチルドレン』を賞賛しようとすればするほど、『自閉症』『発達障害』という診断が許されざる行為になる。
『障害者』と認めることが忌避すべき行為になる。

このように「クリスタルチルドレン」という概念は、世間の障害に対する認識を改めるのではなく、却って『障害』に対するネガティブイメージを強調する方向に働くのです。

特に、学校現場において『クリスタルチルドレン』という概念が広がったらどうなるか。
子ども達の間で、障害児の選別が起こるのではないか。
「あの子はクリスタルチルドレンだから大切な子」「あの子は本物の自閉症だから私たちと関係ない」という風に。
そして、これが重要なのですが、バーチューのいう「クリスタルチルドレン」の定義に当てはまるような自閉症の子どもはほとんどいないのです。(注)

また、AD/HDの薬物療法に対する偏見も、実際に学校現場で薬を服用している子ども達へのプレッシャーが強まるのでないかと危惧します。
周囲の子どもだけでなく、教師が服用に理解を示さない、という事態が起こらないことを切に願わずに入られません。

AD/HDの治療についてはこちらのサイトを参照していただきたい。
「AD/HDナビ」(特に「体験談を聞く」というページがわかりやすい。)
http://www.adhd-navi.net/index.html

繰り返しますが、『クリスタルチルドレン』という概念を世間一般に無批判に広めることは、発達障害に対する無知と偏見を広めることに他ならないんです。
そんな概念を広めるよりは、きちんとした発達障害についての知識を広めた方がずっと良い。

無責任な愛は、迷惑でしかないってことです。


最後に、自閉症やAD/HDについて、書籍の紹介を。

 光とともに… 1 自閉症児を抱えて 光とともに… 1 自閉症児を抱えて
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

ドラマにもなったので、有名かと。自閉症の子どもや家族の状況がよくわかるので、多くの方に読んでいただきたいマンガです。現在13巻まで。

 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち 発達と障害を考える本 1 ふしぎだね!?自閉症のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち 発達と障害を考える本 4 ふしぎだね!?ADHD(注意欠陥多動性障害)のおともだち
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する
この「ふしぎだね!?◯◯のおともだち」シリーズは、障害の特徴と行動をマンガで解説していて、子ども向けなのですが、大人が見ても充分参考になります。学校図書館にシリーズでそろえてもらいたい本。

(注)いくつかのブログで見つけたクリスタルチルドレンについての説明です。
バーチューのサイトにはないのですが、全く同じ内容で記載されているんで、書籍に載っているのかもしれません。

・インディゴ世代の次(1995年~)に生まれてきた魂
・オーラは、何色ものパステル調の色合いを含み、オパール色(乳白色)に輝いている
・楽しく、愉快で、おおらか
・インディゴと共通しているのが、感受性が高く、霊能力があるところ
・至福に満ちていて、情緒が安定して穏やか
 (たまに癇癪を起こすことはあっても、たいていは寛大でおおらか)
・テレパシー能力あり、そのため言葉を話しだすのが遅い傾向がある
・クリスタルや石に興味をもつ
・人とのつながやりを好み、話好き
・抱き締めたり、ケアをしてもらいたがっている人を、自発的に抱き締め、思いやりを示す
・愛に満ちていて、あけっぴろで、気取らない
・普通の食べ物より菜食を好む

えっとー、これに当てはまるんだったら、自閉症じゃない気がします…(苦笑)

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ(2)

今回は、前回エントリで書き残した懸念、クリスタルチルドレンという概念が「自閉症という障害に関する理解を妨げること」について述べたいと思います。
前回エントリ「私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ」

バーチューのサイトやスピリチュアルに親和性の高いサイトを見ると、「クリスタルチルドレン」は自閉症と関連づけられているようです。
同様に「インディゴチルドレン」という子ども達もいて、こちらは「注意欠陥多動性障害(ADHD)や注意力欠如障害(ADD)といった精神疾患の誤ったレッテルを貼られることがあります」と。
さらに「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」というように療育を否定するかのような記述もある。

障害のマイナス面ばかりにとらわれていて苦しむ親が、子どもを障害者ではなく「クリスタルチルドレン」と思うことで受け入れられるようになるならば、決して悪い話ではないという見方もあるでしょう。

しかし、その結果が療育の否定では困るわけです。(これは、前回エントリで書いた「子どもを巻き込む」ことにも関わってくるのですが)

自閉症は脳内の情報処理の仕方に問題の起こる生まれつきの障害であって、療育によって生活スキルや社会性を身につけていくことは可能ですが、これは親の思い込みで何とかなるようなものじゃないんですよ。
つまり、適切な支援と周囲の正しい理解を、これほど必要とする障害もない。

にもかかわらず、バーチューは自閉症と診断することはレッテル貼りだと言う
「あなたの子どもには何も問題はないのだ。あなたがレッテルを貼っているだけだ」と囁くのです。

「もしそのような子供たちにレッテルを貼って恥ずかしい思いをさせたり、薬物療法で服従させようとするなら、私たちは天からの贈り物を台無しにしてしまうでしょう」
「彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。」

前回のエントリにも述べたとおり、ここでも外的な困難を内面の問題にすり替えてしまう構造が見られます。

これでは、実際に育児上の困難に直面している親は、余計追いつめられてしまいます。
自分の心の持ちようが悪いのだと言われているに等しいのですから。
あるいは、本当に問題がないのだと思い込もうとして、子どもから療育の機会を奪ってしまうかもしれません。

自閉症だと診断されることは、障害という現実を突きつけられるショックもあるが、同時に、問題は育て方にあるのではないということがわかってすっきりしたと言う親も少なからずいます。
診断は決してレッテル貼りではなく、問題解決の具体的な取り組みへの足がかりになるんです。
もちろん、ショックから立ち上がるには時間がかかりますし、すぐには取り組めないかもしれません。
でもね、それは、子どもが自分らしく生きる権利を確保することになるのですよ。

なお、自閉症がどんな障害かもっと知りたい方はこちらのサイトをぜひご覧下さい。
『新しい自閉症の手引き』
http://www.nucl.nagoya-u.ac.jp/~taco/aut-soc/rainman/index.html
『はじめて出会った自閉症(日本自閉症協会)』
http://www.autism.or.jp/autism05/hajimete.htm

次のエントリでは社会的な影響面について述べたいと思います。

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私が「クリスタルチルドレン」に懸念を持つわけ

6月も半ばに入ろうとしているのだけれど、相変わらず「クリスタルチルドレン」で検索してくる方が多いんですね。
つうか、そればっか…(汗)
実は、このブログへのアクセスは、そのほとんどが先日あげたエントリ「NHKでクリスタルチルドレン」へのものなんですよ、他の記事はスルーですよ、奥さん(泣)
それだけ「クリスタルチルドレン」という言葉が世間的に関心を持たれているってことなんですかねぇ。

ただ、先日の記事は、どうもハマる人を揶揄していると思われてしまうようなので、改めて何を懸念しているのか、かなり前エントリと被りますが、まじめに書いておこうかと思っています。

まず、「クリスタルチルドレン」についてのおさらいですが、これはNHK「みんなのうた」の4・5月の歌として放送された3曲のうちの1曲です。
NHK「みんなのうた」の4・5月の歌

一見ただの反戦歌にしか見えないこの曲ですが、実は、タイトルに使われている「クリスタルチルドレン」という言葉は、エンジェル・セラピーを創設したドリーン・バーチューという人が唱えている、いわゆるスピリチュアルというか、かなりオカルティックな概念を持つ用語でもある、ということは前回のエントリで書いたとおりです。

ただし、曲そのものは先程も述べたように普通の反戦歌ですし、NHKのサイトにもスピリチュアルについての言及はありません。
なので、はっきりとドリーン・バーチューとの関連を指摘することは出来ません。

しかし、「クリスタル・チルドレン」と言う言葉はドリーン・バーチューのサイトを見る限り、彼らの思想にとってかなり重要な位置を占めています。
したがって、この言葉だけで彼らの思想に簡単にアクセスできてしまうことになります。つまりググるだけで、ね。

いくらスピリチュアルに関心があると言っても、元々ドリーン・バーチューを知っている方は少ないと思うのですよ。
そういう、なんとなくスピリチュアルな人々をこの歌は引き寄せてしまう。
いや、スピリチュアルという意識もなくただ曲に感動してアクセスして、曲の感動を引きずったままバーチューの思想を鵜呑みにしてしまう可能性も否定できないと思っています。

もっとも、スピリチュアルやオカルトで何が悪いっていう意見もあると思うんですね。
なので、ドリーン・バーチューが言うところの「クリスタルチルドレン」についての問題点も指摘しておこうと思います。
私が懸念する問題点は次の2点です。
(1)必然的に子供を巻き込むこと
(2)自閉症という障害に関する理解を妨げること

(1)ですが、本人の中で完結しているのならスピリチュアルだろうがオカルトだろうが、アトランティスやムーの転生だろうが遊星からの物体Xだろうが、まあ、仕方ないか、というところはあります。それが本人の癒しになることもあるでしょう。
ところが、「クリスタルチルドレン」の場合、投影の対象は子ども達なんですね。

幼い子どもにとって、親は絶対です。
親の価値観がどうであれ、子どもは疑問を差し挟むこともできません。
だから、親がどんなに「感動」しようとも、子どもに与える場合はもっと慎重になった方がいい。
少なくとも、これが一般的には「オカルト」と言われるものであることは意識しておいてほしいと思います。

それに、バーチューのサイトにはこんな文章があります。

クリスタルチルドレンは、多くの点で理想的であり、人類が向かっている方向を指し示してくれています。そして、それは、正しい方向なのです。
これ、親が子どもに投影するには、あまりに重すぎる理想ではありませんか?

さらに、「スピリチュアル」にはよくあることなんですけれど、バーチューの思想にも外的な困難を自分の内面の問題にすりかえてしまうという面があるようです。そして、批判を悪いことだとする教えもある。(例えば「天使から学んだ10の教訓」というページには「3. もめごとは、すべて心の投影。」「8. 批判しない。」「9. 意識の持ち方が人生を決める。」という項目があります。)

これでは、子どもに高い理想を押し付ける一方で、「批判するな」というメッセージを送ることになるんですね。しかも、問題が起こるのは自分の心の持ち方にある、という。
このような思考様式は、親には都合がいいかもしれませんが、子どもにとってはかなり抑圧的に働くものです。

こう見てみると、「クリスタルチルドレン」の歌詞にある「戦わなくていいんだよ、好きになっちゃえばいいんだよ」「憎しみも涙に代えて、許せる勇気持って生まれてきたんだ!」という言葉も、自分の内面のみを問題にしている(自分が心地よく感じれば問題は解決する、他者に対する視点がない)という点で、非常にスピリチュアル的といえるかもしれません。

親の言葉は子どもにとっては呪縛にもなりうるものですから、慎重でありたいですよね。

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(2)の自閉症の理解については、長くなったので別の機会に書こうと思います。ただ、いつになるやら…。

なお、「みんなのうた」の「クリスタルチルドレン」については、ツカサネット新聞の以下の記事やPSJ渋谷研究所Xさんのところのエントリによくまとめられています。

「クリスタルチルドレン」とは何か?-スピリチュアルな世界へ【前編】
(ツカサネット新聞 2008年05月20日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=16814
「クリスタルチルドレン」とは何か?-ドリーンとエンジェル・セラピー【後編】
(ツカサネット新聞 2008年05月21日)
http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=17018

PSJ渋谷研究所Xさんのエントリ「○○の歌が毎日さりげなく放送される。オッケー?」
http://shibuken.seesaa.net/article/96325193.html
同「クリスタルチルドレンとは何か」
http://shibuken.seesaa.net/article/97447175.html

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NHKでクリスタルチルドレン

現在、NHK「みんなのうた」で放映中の「クリスタルチルドレン」という曲があります。
ブログなどをざっと見てみたところ、「感動した」など好意的な意見が多いんで、水をさすのも何なんですけど。
しかしですね〜、これは公共放送であるNHKで流すにはかなり問題のある曲だと思います。

実は、曲のタイトルである「クリスタルチルドレン」は、いわゆる「スピリチュアル」な人々が使用している用語なんです。
彼らの説によれば、テレパシー能力などを持った新しい種の子供達が生まれていて、人類の進むべき方向を指し示しているんだそうですよ。まあ、はっきり言えばオカルトなんですけれど。

さらに、問題なのは、彼らはこの「クリスタルチルドレン」と言う概念を自閉症に結びつけているんです。
エンジェル・セラピーなるものをやっているこちらのサイトからの引用です。
ttp://doreen.jp/angelguide/007children.html(リンクは貼りませんが一応アドレスは表記しておきます。)

優れたテレパシー能力を備えていることは驚くにはあたりません。クリスタルチルドレンの多くが、話し始めるのが遅く、3、4歳になって初めて言葉をしゃべるというのも珍しいことではありません。しかし、彼らの親たちは、物を言わない子供たちとコミュニケーションするのに、なんの支障もないと言います。ほとんど問題はないのです。
(中略)
問題が持ち上がるのは、クリスタルチルドレンが、医療や教育関係者によって、 "異常な" 発話パターンを持つと判断されるときです。クリスタルチルドレンの出生数が増えるにつれて、自閉症の診断数が増え、史上最高になっているのは偶然ではありません

まあ、個人が何を信じようがかまわんという見方もあるにはありますよ。
でも、これは、必然的に子供を巻き込むんです。
何しろ、生まれてくる子供達が選ばれた人類だって言ってるんですからね。
子供達を巻き込んでせっせとオカルトを吹き込んでいるんです。

しかも、ですよ。
これら自閉症の子供達は、言葉を文字通り受け取ってしまう可能性がある。
知的には問題が無い高機能自閉症でもです。
(参考までに wikipedia「自閉症」
その子達に幼いうちからオカルトな思考を吹き込んでどうする、と小一時間問い詰めたい気分なんですけれど。将来、カルトや霊感商法の餌食にする気か、と。

で、そんな危なっかしい概念をタイトルにした曲をNHKが「みんなのうた」で流している。

たぶん、NHKは、ただの反戦ソングぐらいに思っているんでしょうけれど、ちょっと検索しただけでもかなりの数のブログが、この曲をスピリチュアルに結びつけて評価しています。
「NHKが流してくれるなんて時代は変わった!」なんてブログがゴロゴロしているんですよ。
映像としても透明なイルカが出てきたり、スピリチュアルを連想させるような作りですしね。
制作サイドは確信的なんじゃないかな。

それに…。

「クリスタルチルドレン」でググると上位にくるのが、先に引用したエンジェルセラピーのサイトなんですよ…。
「みんなのうた」を聞いてググったら、真っ先に触れるのがオカルトっていうのは、やっぱり公共放送としては問題なんじゃないですかね〜。

NHK「みんなのうた」公式サイト4月・5月の新曲

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羊水

倖田來未の「羊水が腐る」発言。

まあ、不妊治療やって高齢出産で切迫早産で生まれた子がダウン症児っていうのは、『傷つく』カテゴリーに入る立場なんだろうな、と思いつつ。

もっとも、私自身は、始めにテキストとして見たこともあるのだろうけれど、若いお嬢さんがおバカ発言しちゃったなぁ、ぐらいにしか思わなかったんですよ。
だって、羊水がいつも身体の中にあるわきゃないし、身体の中で羊水に限らず体液なり組織なりが『腐る』ってことがあったら、それこそ大変なことだろうよ。子どもを産むどころじゃねぇよ、ってな具合で(笑)

ただ、そのあとのいろんな反応をみていると、高齢出産のリスクと絡めた発言がかなり見られる。
で、お約束のように必ずダウン症の発症率が言及される。

まさに、その『リスク』とやらをモロに被った身としては、苦笑するしかないのだけど。
そうですか、ダウン症児を産むってことは『腐った』と表現されてもかまわないほどヤバいものなのですか、と。

特に、このゲンダイネットの記事は軽卒だなぁ、と思う。

“35歳”羊水は一体どうなるのか (ゲンダイネット)

 35歳を越えたお母さんの羊水は、ホントのところどうなるのか——。

 倖田來未がラジオ番組で発言した「35歳羊水腐る」説。本人はふざけ半分のつもりだったようだが、活動自粛に追い込まれるなど深刻なダメージを受けた。

 それでは、「羊水は腐る」のだろうか。「らら女性総合クリニック」の松村圭子院長が言う。

「生まれる前の赤ちゃんがウンチをすると羊水が濁るケースがあります。羊水混濁という症状ですが、ウンチが赤ちゃんの気管に入ると危険なため、“仮死”の兆候のひとつと考えられています。これを“腐る”と誤解したのかもしれません」

 もっとも、「羊水混濁」は35歳以上になると増えるという。

「35歳を越えた高齢出産では、卵子が老化して受精や着床がしにくくなります。着床しても胎盤が弱く、微小な血栓が血流を妨げて赤ちゃんに栄養や酸素が行くのを阻害すれば、赤ちゃんにとって厳しい環境になり、生まれる前に苦しくなってウンチをしてしまうこともあるのです。ダウン症の発症率をみても、20代の出産では1000人に1人ですが、40代は100人に1人。やはり、20代前半に比べると、羊水は腐りませんが、リスクは格段に高いのです」(松村圭子院長)

 転職とか出産とか、世の中には35歳から難しくなることが多すぎる。

【2008年2月5日掲載記事】

まず、倖田來未の発言に羊水混濁など一言も出てこない上(比喩だとも言っていない)、一般的にほとんど知られていない用語を持ち出して、強引に結びつけること自体軽率だと思うが。

おまけに、羊水混濁は予定日を2週以上過ぎた過期産との関連が取り上げられるが、特に高齢出産に結びつけられる話ではない。
ましてや、ダウン症の発症とは何の関係もない。

おそらく、倖田來未と同様、この医師にも悪気はないのだろうが、『腐る』という言葉にどうしてこうも軽々と『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉をかぶせることが出来るのだろう。
このことによって、『腐る』という印象を補強していることに気がつかない無神経さはどういうものだろう。

このテキストは様々なブログで引用されており、「羊水って腐らないけれど、濁るんだって」「高齢出産はダウン症が生まれやすいんだって」と言った反応を見るにつけ、これからは『羊水混濁』や『ダウン症』という言葉が『腐る』という印象と結びついて残っていくのではないかと思うと、気分が重くなる。

この問題については、もう少し書こうと思うことがあるのだけど、もう遅いので今日はここまで。
続きを書く暇があればいいけれど。

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